関の外へきて、あの音だけを聞いて楽しむことにしてはどうだ。こんな訳で爾来毎日、友人はまことにいい気持ちになっているのである。いよいよ清酒が飲めないことになれば、私は濁酒《どぶろく》でやろうかと考えている。濁酒の味も捨てたものではない。濁酒を燗鍋で温めて飲むのも風雅なものだ。私の子供の時分には故郷の村の人々は自家用の醪《にごりざけ》を醸造しては愛用していた。
 当時、酒の税制がどんな風になっていたか知らないが、私のとなりの家に、飲兵衛のお爺さんがいて、毎日|炉傍《ろばた》で濁酒を、榾火《ほたび》で温めては飲んでいたのをいまも記憶している。納戸《なんど》部屋の隅に伊丹樽を隠しておいて、そのなかへ醪を造り、その上へ茣蓙《ござ》の蓋をして置く。それを、一日に何回となく杓子《しゃくし》で酌み出しては鍋にいれてくるのだ。
 ときどき、村の駐在巡査がやってきて、大きな炉のそばの框《かまち》に腰をかけ、洋刀をつけたまま五郎八茶碗で、濁酒の接待にあずかり、黒い髭へ白の醪の糟をたらして、陶然としていたが、そのころは濁酒を隠し造りしても大してやかましくなかった時代とみえる。私もそのお爺さんに小僧のめのめと言われて、飲みなれたために、いまのような飲兵衛になってしまったものと思う。
 ところが近年では次第々々に口が贅沢になって、濁酒では満足ができない。清酒も、品好みをするようになった。関西の方からくるいろいろの清酒を味わうが、もっとおいしいのはないものかと考えるようになったのである。けれど、現在世の中にあるおいしい酒というのはすべて味わい尽くしたから、この頃では昔上方にあったという『富士見酒』の味を想像して、舌に唾液をからませている。『富士見酒』というのは、糟丘亭が書いた百万塔のひともと草に出ている。百万塔は百家説林のように、各家の随筆を収録したもので文化三年に編粋され、ひともと草はそのうちの一篇であるが、糟丘亭は上条八太郎の筆名だと聞く。
 酒の初まれるや、久方のあめつちにも、その名はいみじき物を、ことごとしくにくめり云ふもあれど、おのづから捨てがたき折ともよろづに興をそふるともをかしく、罪ゆるさるる物とも嬉しとも、いきいきしともいへり。この物つくれる事のひろこりゆけば、いづこにすめるも濁れるもあれど、過し慶長四年とや、伊丹なる鴻池の醸を下しそめけるより、この大江戸にわたれるは、ことところ
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