私は、用事一切を抛《ほお》りだして館林へかけつけたのである。
多田常務の説明するところによると、この鹿は野州奥日光川治温泉から、さらに七里奥山へ分け入った湯西川の源流に聳える明神岳の中腹で知合の猟師が大晦日に撃ちとったのであるという。
その猟師から元日に電報があり、すぐ使者を山へ走らせて肉を三貫目ばかり運ばせたのであるが、二人で三貫目食えるだろうかと笑うのである。しかしそれは無理だ。
まず、葱と牛蒡と豆腐を加役とし、鹿肉の味噌汁を作った。味噌は正田醸造の特製とはいえ素晴らしい鹿汁である。まるで、臭みがない。
鹿の肉には、一種の臭みがあるのが普通である。だが、寒中に獲れた鹿から腸を去り皮を剥ぎ、枝肉として一夜積雪の土に埋めて置くと、あの臭みはあとかたもなく散じてしまうといわれているが、この鹿肉もそういう手当てをしたに違いないと思う。それに葱と牛蒡とを加えたのが役に立ち、しかもほんとうの上味噌が用いてある。
殊に、鹿は日光の二荒山、赤薙山、太郎山、明神岳あたりを中心とした連山で晩秋の交尾期が去って雪を迎えた頃とれたものを随一と伝えられたから、私は正に鹿の絶醤に恵まれたわけである。
今年は、運が向いてくるかも知れぬ。瑞兆といってよかろう。
次に、焼肉が出た。これはやわらかい上に、味品秀調である。歯の悪い私などでも、顎にさまで力を入れぬでもよい。啖《くら》うて舌に載せると、溶けてそのまま咽へ落ちて行く。
羊や猪や、牛や豚、狐の焼肉など及びもつかない。露国の探検家アルセニエフの烏蘇里紀行を読むと、彼が沿海洲のシホテアリン山脈の奥で、しばしば烏蘇里鹿を撃ち、それを焼いて食うところを描いている。私はそれを読みながら、舌に唾液を絡ませて、アルセニエフの口中に沁みわたる美味を想像していたのであるが、今回ははからずも老友のおかげで麋鹿《びろく》の焙熱にめぐり会ったわけである。
「君、それは指でつまんで食うものだよ」
と多田老にいわれて気がついてみると、私は鹿肉を箸ではさんでいた。まことに、お恥ずかしき次第である。
元来、食べものは汁物は別として、なんでも指先でつまんで食べるのが一番おいしいのである。箸など使うのは、虚飾外見というものであろう。
西洋人も、つい近年までは、物を指先でつまんで食べていたのである。フォークが英国に入ったのは千六百六十八年に、伊太利をへてコ
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