てきたのも、微笑ましかった。
武州の荒川は、長瀬の上流下流で幾度か鮎の友釣りを試みた。三峰川と中津川では山女魚釣りに谷を跋渉《ばっしょう》した。高麗《こま》川と名栗川へも行った。多摩川と奥多摩川、日原川、秋川などはここで説明するまでもない。江戸川、中川、綾瀬川など、もちろんのことだ。
相州の相模川は、与瀬から下流厚木付近まで、東京の鮎釣りの人で知らぬ人はあるまい。さらにその下流の馬入川では、淡水魚と海魚が混じって釣れる。酒匂川は、私の友釣りを生んだ場所である。箱根から流れ出る早川の鮎は、水利事業のために、滅亡したのと同じようになったのは悲しい。須雲川の山女魚は、いまなお健在である。
真鶴、小田原、国府津、大磯、江の島などの海釣りは、まだ都会人を満足させるだけに発達していない。舟宿と船頭に、いろいろの研究を乞うてやまない。それに引きかえ、三浦半島の海釣りはよく発達している。野島、走水、横須賀、鴨居、久里浜、三崎港と、鯛や鱸釣りをはじめとして、船頭はよく都会人を遊ばせることを心得ている。幾度遊びに行っても飽きないのだ。
これと同じに、房総半島の海も快い。湊、大貫、竹岡には数多い遊漁船があって、四季いつでも釣れる魚がいる。鯛、鱸、鰈《かれい》、黒鯛など、婦人が行っても釣ることができる。安房《あわ》の南端|布良《めら》の釣遊は豪壮であった。外房勝浦方面の釣り案内舟は、いま一段の改善が欲しいと考えてみたこともあった。利根川河口銚子港の釣りも盛んである。
形も味も立派ではないが、この半島の養老川と、夷隅川には鮎がいた。
甲州は、渓流魚に恵まれている国である。相模川の上流とその支流、笹子川、笛吹川、日川、御岳昇仙峡と黒平の荒川、釜無などへは山女魚を求めて度重なった。塩川の上流、金峰山の懐から源を発する本谷川の山女魚と岩魚はなつかしい。富士川の支流早川と雨畑川、常葉川、波木井川、戸栗川、福士川、佐野川、稲子川、芝川など、渓流魚が多いのである。南アルプス山岳の肩から出る早川の上流、野呂川へも岩魚を志して行ったことがある。
富士川本流の、鮎の友釣りは豪快である。私はその中心地|波高島《はだかじま》と身延《みのぶ》へは、年に四、五回も行って幾日も滞在する。これから後は、一層精出して行こうと思う。
静岡県は、東は伊豆から西は遠州まで、ほんとうに数多い釣り場に恵まれている。南
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