話だ。
 大正六、七年ごろであったと思う。八月の炎暑の午後、相州小田原の傍らを流れる酒匂川の川尻で、私が黒鯛を釣っていると、そこへ五十歳前後の釣り師がきて、私と並んで釣りはじめた。どういうわけか、その日はさっぱり釣れない。二人は根気がつきて、みぎわに近い砂原へ腰をおろした。そこで、私と釣り師との間に世間話がはじまった。
『こんど、牛込から素晴らしい候補者がでますよ』
 という話になった。九月には、衆議院議員の選挙があるのであるから、話題は自然にその方へ移っていったものとみえる。
『どんな人物です』
『さあ、どんな人物と言っても、まだ青年なんですがね、弁護士で、まだ三十歳をでたばかりです』
『はあ、では新候補ですね。どこか特別に偉いところがあるのですか』
『無名の弁護士ですが、ひどく義侠がありましてね、貧乏人をみると、誰にでもただで弁護してくれるんです。私は、小石川の魚屋の親爺ですが、私の仲間にも厄介になった人があるんで、同業者がみんな感謝しているような訳です』
『なんという人ですか』
『三木武吉といいますよ。しかしね、私は先だってからここの松寿園に滞在して酒匂の川尻の黒鯛を狙っているのですけれど、三木の選挙がどうなるかということを考えると、頭がこんがらがって、魚の当たりなど少しも分かりませんやね。きょう釣れないのもそのためでしょう』
『えらいご執心ですな』
 夕方の上げ潮がきたので、また熱心に釣りはじめたが、その日の収穫は、甚だ僅かであった。
 帰京してから三木武吉という名前を思いだして新聞をみると、じゃんじゃんと戦っている。相手は、やはり同じ憲政会の頼母木桂吉だ。無名の新候補が飛びだしたのでは、敵党政友会の地盤へ斬り込むのは困難であるから、専ら同志の票を食う作戦らしい。
 この選挙は、大隈内閣の運命を賭するものであったから、火花が巷に散った。
 三木はそのとき僅かに三十二歳。政党人としてはほんの駈けだしである。立候補しても選挙運動費はたった三千円しか用意できなかった。
 選挙期日の二日前、つまり明後日は投票日であるときになって、総理大臣大隈重信が、自党の候補者頼母木桂吉のために応援演説にでるという情報を、三木がききこんだ。しかも演説会場は京橋木挽町の歌舞伎座であるという話である。歌舞伎座を演説会場に使った政治家は、それまで例がない。そのはずだ。一夜に五百円という大
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