純情狸
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)名偈《めいけつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)浅間|颪《おろし》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]
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私に董仲舒ほどの学があれば、名偈《めいけつ》の一句でも吐いて、しゃもじ奴に挑戦してみるのであったが、凡庸の悲しさ、ただ自失して遁走するの芸当しか知らなかったのは、返す返すも残念である。
さて、昔の若き友人は老友となって、私の病床を慰めながら語るに、僕の村の一青年が、数日前の夜、この村に用事があって夜半まで話し込み、星明かりをたよりに、野路を東箱田の方へ帰ってきた。
折柄、浅間|颪《おろし》が寒く刈田の面に吹き荒《すさ》んで、畑では桑の枯枝が、もがり笛のように叫び鳴く。青年は袷《あわせ》の襟を押さえながら急ぎ足でやってくると、殿田用水の橋の真ん中に、大しゃもじが路を塞いで立っているではないか、あっとのめって、そのまま気絶した。
明け方眼ざめて村へ帰り、斯《か》く斯くと語ったのであるが、貴公が四十数年前、桑畑の間で胆を潰したあのしゃもじの古狸めか、それとも子狸が親から相伝した変化術か。
はからずも老友と回顧談に耽り、おかげで私の病気も俄に快方に向かった次第である。想えば私の生涯も、永い年月であったわい。
上州は、古くより狸の産地としては、日本随一である。分福茶釜の茂林寺のことは作り話であろうけれど、茂林寺の近所の邑楽郡地方には、今でも盛んに出没している。殊に、内務省直轄で築造した渡良瀬川の堤防には、狸の穴があちこちにあって、村の人は、しばしば狸汁に舌鼓をうっている。
就中《なかんづく》、奥利根の山地には狸が多い。新治村の諸山脈と吾妻郡と越後の国境にまたがる山襞には、むくむくと毛ののびた大狸が棲んでいて、猟師の財産だ。
榛名山麓も、狸の本場であろう。
今から三百五、六十年の昔、伊香保温泉に近い水沢観音の床の下に、仙公と呼ぶ狸界の耆宿《きしゅく》が棲んでいた。齢《よわい》、千余年と称し、洛北の叡山で、お月さまに化け、役の行者に見破られて尻っ尾を出した狸と兄弟分と誇っていたというから、変化の術は千態万姿、まず関東における狸仲間の大御所であった。
しかし、彼はまだ人間と交際したことがない。人間と交際して、生活を共にし、しかも本性を隠し通す修業を積まなければ、全国の狸界を統一し、それに君臨するわけには行かぬこととなっているから、これについて仙公狸は多年にわたり、思案を費やしてきたのである。けれど穴に引きこもって、考え込んでいるだけでは埒《らち》があかぬとあって、いよいよ厩橋の城下へ繰り出すことにした。
当時、厩橋城は織田信長の重臣瀧川一益が関東の総支配として進駐し、近国に勢威ならぶ城主がなかったのである。したがって厩橋城下は殷賑《いんしん》を極め、武士の往来は雑|鬧《とう》し、商家は盛んに、花街はどんちゃん騒ぎの絶え間がなかったという。
仙公は、出発に際し九十九谷の崖下に穴居する※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]《あなぐま》を訪《おとな》うて別盃を酌み、一青年学徒に扮して厩橋城下へやってきた。佐々木彦三郎と名乗って紺屋町付近の素人下宿を住まいとしたのである。この下宿は甚だ居心地よく庭に花圃菜園などあって、屋敷が広い。
昼は、塾に通って勉学し、朝夕は花圃を散歩しながら書を読み、夜は二階の室にあって瞑想に耽った。
ところで、下宿の二階から眺めた夜の景色は素晴らしい。なにしろ、紺屋町といえば厩橋城下における花街の中心地だ。絃鼓鉦竹に混じえて、美声流れ来たり流れ去るのである。
花街に取りまかれ、嬌妓のなまめかしい唄を耳にしようが、笛太鼓の音をきこうが、仙公の佐々木彦三郎は、随分と志操堅固で、なにものにも心を動かさず、はや半年は過ぎた。
交わるものは、学友ばかりであったのである。ところで、夏ある夜、仙公の佐々木彦三郎は、学友三、四人を集めて、下宿の二階で一盃のんだ。その夜また隣の芸妓屋から、若い妓の美しい声が流れ出て、彦三郎の室へ伝わってきた。学友いずれも耳を傾けたのである。すると一人が、
なまめかしいが、下品でないな。
そうだ。だが、音はすれども姿は見えぬというようだな。と、一人が答えた。
年の頃は十七、八歳というところかね。ところで、声のみきいて姿に接せず、というのが、なにか詩になりそうだね。
なりそうだ。
学友一同は、いずれも心にそう思った。誰もが盃を措《お》いて紙と筆を採り、白い紙の面をにらみ込んだ。酒宴が脱線して、運座《うんざ》となったのである。
仙公狸が、一番早く詩を作った。仙公が、己の賦詩を朗読すると、名作であると賞詞を揃えて、一同は拍手したのである。もとより狸に詩を賦すことなどできるわけのものではないのであるけれど、神通力を持つ仙公だ。なにか、口の中でぶつぶつというと、それが学友達に聞こえたのかもしれない。
夢中になって歓語を交換していると、下のおかみさんが、襖の外から、先生がお見えになりましたから、ご案内しますと告げた。
連中は狼狽した。酒をのみながら芸妓を題にとって詩を作っているなどとは、学生の分際として穏やかでない。佐々木彦三郎はすぐ詩を書いた紙を丸めて、懐中へねじ込んだのである。
先生、いま一盃はじめたところです。
よかろう、青年は元気をつけねばいかん。
はっ――。
そこで瓶盞《へいせん》を改め、先生に集中攻撃を喰わした。佐々木彦三郎は、学友達が酔ったはずみになにか喋ってはまずいと考えて、手洗場へ行くふりをして、縁側へ出で二階から、例の詩の書いてある丸めた紙を懐から出し放った。擲《なげう》った紙は、墻《かき》を越えて隣の家の庭へ落ちたのである。
先生と学生らは、夜半まで痛飲して、蹌踉《そうろう》[#「蹌踉」は底本では「蹌跟」]として帰って行った。
隣の家は、芸妓置屋である。六十に近い老女が主人で、数人の妓を抱えて置くが、なかに最も美しい、若い妓は、老女の実子である。つまり娘だ。幼いときから雛妓として仕込んだけれど、賎業の方は固く禁じていた。だから芸妓であっても生娘だ。
この花街では、この娘を誰が手折るであろうということが評判になっていて、ひく手あまたである。ところが母も娘もまるでそんなことはとりあわず恬然として弾きかつ歌うのが専門であった。
名は小みどりと呼び、三絃、笛、太鼓はもちろんであるが、婦芸一般に精をだし、書を読むことも人後に落ちない。そして麗容|薔薇《ばら》を欺くというのであるから、大したものである。
翌朝、小みどりは庭下駄を突っかけて、花壇へ花を折りに出ると、墻の近くになにか丸めた紙が落ちているのを見た。拾って皺を伸ばしてみると、詩が書いてあるではないか。
詩の持つ意味は、未だ姿は見ないけれど、唄の主である自分を恋していること久しい。と、いう風にとれる。
仙公狸の方ではまだ小みどりの姿を見たことはないが、小みどりの方では、仙公が朝夕庭先を逍遥しながら、本を読んでいるのを、障子のすき間から、しばしばかいま見たことがある。
自分が毎夜宴席で接待する呑ん兵衛共とは、人種が異《ちが》うほど人品が高い。自分もやがては卑しき稼業をやめ、人間並みに天下晴れての結婚をしなければならぬのだが、婿に選ぶのなら隣に下宿しているような学生を得たい。
こんな風に、ときどき思案してきた矢先であったのだ。読み終わると、ひとりでに心臓が高く鳴るのを覚えてきた。
そこで、小みどりはこの機会を逸してはと考え、仙公の詩の韻をふみ、想いのたけを詩に表現した。そしてその日の夕方、これを白紙に書いて、仙公の室の廊下へ投げ上げたのである。
仙公が、それを拾って読んだのは、もちろんである。これはわが輩の想像以上に大した娘だ、これと結婚して、しかもわが輩の妖気を見破られなかったら儲けものである。全国の狸界に、君臨しても文句を挾《はさ》まぬ日が必ずくるであろう。
もし、看破られて、天秤棒で追いまわされたところで、尻っ尾を巻いて故郷の水沢観音の床の下へ逃げ込めば、それでよろしい。大して損はない。
二、三日過ぎた宵の口、仙公は低い声で詩を吟じながら墻のあたりをぶらついていると、それを聞きつけて、小みどりは庭へ走り出てきた。
やあやあ、お隣のお嬢さんですか。
あら、お嬢さんなんて、はずかしいわ。
仙公は、小みどりをわが室へ招じ入れたのである。小みどりは、まだおぼこであるとはいえ宴席へ侍《はべ》るのがしょうばいであるから世の生娘とは違って、大して人怖じはしない。招じられるがままに仙公の室に通ったのである。
貴嬢の詩は、大したものですなあ、女であれだけ詠めちゃあ凄い。
あら、お恥ずかしい、あなたこそ――。あたし、すっかり魅せられてしまいましたわ。
こんな次第で、二人はそれから懇《ねんご》ろに交際するようになったのである。ある日、小みどりは仙公を、訪ねてきて改めてまじめな顔になり、
あなたは、奥さんはおありなんですか。
と、だしぬけに質問を発したのである。
じょうだんじゃありません。僕はまだ学生ですよ。結婚なんてまだ将来ですよ。
あら嬉しい。でも、どうしてまだ結婚なさらないの。
この質問に、仙公返答に窮したが、
貴嬢のような美しいお方と思っているのですがね、理想の人というものは、めったにいるものではありませんからねえ。
あら、ほんとなんですか。
心、心に通ずるのは、ここである。そこで、二人は固く偕老《かいろう》を約して別れた。
仙公狸は、有頂天になった。いよいよ、わが意図もその緒についたわけか。まず、これを親友の※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]《あなぐま》に報告して、彼を喜ばせねばなるまいと考えて一両日休学して水沢の九十九谷へ走って行った。
※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]さんいるかい。
いるよ。
眼を丸くし、大きなお尻を振りながら、※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]は穴の奥から、入口の方へ出てきた。
久し振りだね。あまりたよりがないから、ことによったら貴公、人間に尻っ尾を押さえられ打ち殺されたのじゃあるめえかと思って、この四、五日烏啼きの様子ばかり気にしていたのだ。まあ、息災の顔を見てよかった。はいれ、はいれ。
とんでもねえ、元気だ。めったなところで、尻っ尾を出すような仙公じゃない――。安心してくれ。
そうか、そうでなくては叶わん。ところで、貴公の青年振りは素敵に立派なものじゃの、あく抜けがしているわい。
さもあるべし。先祖伝来の通力を心得ている上に、ちかごろは人間さまと深く交際しているのだから、この山中の連中とは、大いに風采も変わってくるだろう。それで今日は貴公に報告して、喜んで貰いたいことができたので、わさわざ学校を休んでやってきた。
はてな。
というのは、このごろわが輩に恋人ができたんだ。
そうか、それは珍重、してみると、賑やかな厩橋の城下の真ん中にも、狸の雌が棲んでいるらしいの?
いやいや、狸じゃない人間さまの雌だ。
さようか、その筈だ。おれはこの二、三日夢みが悪いが、さてはそれだな。
夢みが悪いとは異なことをいうけれど、相手はぞっこんわが輩を慕っているのだ。もう幾千代かけての契りまで結んだのだ。
鼻毛が長いぞ。
これでわが輩の長い間のもくろみも、その意を達する機会が到来したわけだが、兄弟喜んじゃくれまいかね。
まあ、結構だろう。だがね、随分用心してくれ、相手は人間だ。
わが輩の手腕力量を信用してくれ。
以上、友※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]に相談したところ、敢て強く反対するほどでもなかったので、厩橋の下宿へ戻り小みどりの母へ縁談を持ち込んだ。
母は、
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