《のが》るべき途なし。
と、泣いて独語したが見る間に、少年は忽焉《こつえん》として消え失せたという。
使いの者は、そんなことにかまわない。鋸でずこずこと、大樹を截《き》り倒したところ、戴り口から血が流れ出た。斧で一片を割り、急いで邸へ帰ってきた。
張華はそれに火を点じ、青年を照らしたところ、眉目秀麗のお客さまは、果然古狸の大ものと化してしまい、座敷中を右往左往、睾丸が重いので、身軽に跳躍ができない。
それっ! 逃がすな。
忽ち、縄で括《くく》り上げられてしまった。張は、牛蒡《ごぼう》と大根と葱《ねぎ》を鍋に入れ、たぬき汁に煮て、家族と共に腹鼓をうった。
目下のところ、日本国民は恵王陵の神木のような憂き目を見ているが、東條のような痩せ肉では、羹《あつもの》に作っても大しておいしくはあるまい。などと、私はのんきな想像をめぐらしながら、この原稿を書いていると、東京の学校へ行っている愚息が、空き腹を抱え蒼《あお》くなって帰ってきた。母は、お藷《いも》の麦まぶしでも、おあがんなさいという。
腹が満てると、愚息は私の机の傍らへやってきて、原稿を読んでいたが、
支那の狸は、軍国主義じゃありませんね。このごろの、自由主義者みたいなものじゃありませんか。
と、奇問を発した。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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