ず、これを見て亀右衛門はほんとうに心を痛めてきたのである。ある年、蔵人が江戸の勤番を終えて帰国する途中をはかり、亀右衛門は十人ばかりの家来をつれて馬上に乗り出し、路上でばったり蔵人と出合わした。亀右衛門はことさらに忙しい風を装い、ただ一礼したのみで行き過ぎた。蔵人はこれを不審に思って馬をかえして亀右衛門を呼び止め、
『貴公、大分忙しそうだが何か急用でもできたのか』
 と、問うた。ところが、亀右衛門は、
『大事起こり候』
 こう答えたばかりで、また行きすぎようとする。蔵人は、いよいよ不審に思って、さらに馬をかえして亀右衛門を呼び、
『日ごろ眤懇のよしみ、このままでは水臭い。どんな大事か聞かせてくれ』
『そうか――いや別ではないが、このたび大阪に戦の用意あるによって主人も出陣との沙汰がある。ついては、拙者もその仕度に出かけるところだ』
『それは大変だ』
『そこで、加賀山隼人も近々三百人ほどの家来を打ち立てしとのこと――貴公も隼人と同祿であるから三百人の家来を用意して出陣せずばなるまい』
 亀右衛門は、こう言ってから口を一文字に結んで顔を緊張させた。これを聞いて、蔵人はその場で色を失ってしまったのである。
『面目ない。いま我らには金の蓄えが一文もご座らぬから、このたびの軍役は勤め難い。この申し訳に、帰宅の上切腹仕らん。貴殿との面会もただ今限りである』と、涙を払ってから『同じ家中の人々には、戦場にて討死なし、功を立てるものもあろうに、軍役が勤まらで、居ながら切腹する身はいよいよ武運尽きた。いざ、お別れ申さん』
 と、蔵人は馬の頭を向け直し覚悟は充分であるという風があった。この体を見て亀右衛門は、
『これこれ、ちょっと待ってくれ、拙者も貴殿の宅まで同道しよう』
 と、言いながら蔵人と馬の頭をならべて歩き出した。しばらく、二人は無言でいたが、やがて亀右衛門が静かに言うよう、
『拙者、ただ今申したことは、皆偽りである、けれど、遠からず大阪に合戦が起こるであろうことは、誰が眼にも見えているところだ。その時、今日の後悔がないように、拙者ただ今偽りを申した。いまから奢りをやめ倹を専らにして、いつ合戦が起こるとも差し支えなきよう、軍用金を蓄え置くことこそ、武士のたしなみに候』
『かたじけなし――』
 蔵人の眼から、暑い涙がふり落ちた。
『これまで、貴殿の諫《いまし》めを用いなかったは、わ
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