ないと、蜂が眼をさましてめったやたらに人間を襲撃して刺しまわる。つまり蜂の巣を壊したようだという喩《たと》え通りの大混乱に陥る。そうなれば、いかに人間であっても、多少の被害を覚悟せにゃならない。ここまで斜酣は演説してくると、いよいよ覚悟をきめたらしい。穴の口でぱっと火薬に火をつけると、お尻を宙に立て口先を水道の口のように細めて、煙を穴の奥へ吹き込んだ。斜酣は阿修羅《あしゅら》のような活動振りである。熊手にも似た大きな両手を、穴の入口の土に突っ込んだかと思うと、掘り立て掘り立て、土をはねながら全力をあげて掘って行く。
あったあった! 狂乱の喜びだ。
五
私らが、穴から二間ばかり離れて見物している前へ、彼が擲《な》げ出した地蜂の巣は、直径二尺ほどもあろうと思うものが五つ重ねもあった。ぱちぱちぱち、私らは拍手喝采した。
怪我はないか! 怪我はない、一つも刺されなかった。それで諸君、その巣を早く風呂敷へ包んでくれ給え――蜂どもが眼をさまさないうちに何処か遠くへ逃げなければならない。愚図々々していると、蜂群の大襲撃を受ける恐れがある。逃げろ逃げろ、という騒動だ。
よし分かった。大男の論愚は直ぐ上衣を脱いで巣をこれに包み、大根畑の方へ走り出した。続いて斜酣が上着、シャツ、ズボン、股引を抱えて真っ裸で、畔道を駈けはじめたのである。
びっくりしたのは、近くの畑に仕事をしているお百姓さんたちである。さきほどから大の男が四、五人、しかもそのうちには白に髭をはやしたのもいる。それが、どれもこれも天の一角を睨《にら》め、何か気狂いのような叫びをあげながら畑の中を走っている。そして、最後には芒原のなかで、叫喚の声をあげていたと見るうち、上着を脱いで駈け出したの、猿股《さるまた》一つで飛び出したの、それに続いて異様の風体のものが、枯芒のなかからよろめき出した。
不思議、奇っ怪に思うのがほんとうなのである。たちまち十人あまりのお百姓さんが何だ何だと言って私達のそばへかけつけた。私は歳上であるから一同に代わって爽やかに説明を試みた。
何だそんなことか、俺は博突《ばくち》うちが手入れに遭ったのかと思った、つまらねえ、と愚痴たらたら己が畑へ鍬をかついで帰って行くのもある。蜂の子は、うまかんべと言って愛想を言ってくれるのもある。
それはとにかくとして、何としてもきょうは大成功である。斜酣の得意思うべしだ。丘の上の路で仕度をして、帰途についた。電車のなかでも斜酣の話は、縷々《るる》として尽きない。きょうは諸君を初めての案内であったから、終日野山をかけめぐって只一つの巣を見つけただけであるけれど、調子がいいと一日に三つや四つ採るのはむずかしくない。
武蔵野方面も蜂の巣は少ないことはないのだが、地勢の関係上、大した期待は持てないのである。一番見込みの多いのが東京付近では、千葉県の小高い丘や野原がいいと思う、鴻之台は先年やってみて随分成績をあげた。しかしそれよりも、船橋から東京の京成電車の沿線にひろがっている林や芒原は、いまだ全く手がついていないから、いわば処女地だ。そこには必ず蜂の巣が、又か又かというほどあるだろう。
さらに、かつて鬼熊が出た方面の叢林《そうりん》へ行けば、ただ路傍を歩いていても発見できるに違いない。埼玉県も浦和から大宮の間の林には相当いる。だが、それよりも信越線の桶川、吹上方面の方が有望だ。また、池上本門寺付近も市街に近いが見のがせない場所だ。
何れにしても、その採蜂ハイキングというのは、一日を何も忘れて山、野、林、畑のなかを駆けまわり、へとへとになって我が家へ帰ってくるところが、甚だ健康的なスポーツであって費用もかからず、勝負という邪念も伴わず、おまけにお土産もあってそれが素敵に営養的だから、釣りとほとんど同じ遊びである。誰に勧めても苦情はこまいと思う。
以上が、斜酣の採蜂スポーツに対する結論だ。
きょう採った蜂の巣を、斜酣の家へ提げ込んだ。五人がかりで蜂窩《ほうか》から子供を引っ張り出して見ると、それが二升ばかりもあったのである。油炒りに、蜂の子飯。味は河豚の白子の味のようでもあるし、からすみにも似ている。動物の卵巣が持つ共通の淡味を舌に残して、酒が甚だおいしい。小杯を傾けて論愚、痘鳴を南支へ送った。[#地付き](一四・一〇・五)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
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