ることを知っておかねばならないのである。爽涼、胃と味覚の活動を促す初秋において殊にそれを思う。
 鮎は好んで水温の高い川に棲むというが、水温の低い川に棲んでいる鮎の方が肉も締まり、香気も高い。そして、骨がやわらかいのである。焼いても煮ても、頭も骨も歯も労することが少なく、かえって骨を味わうために一種の風趣を感ずるのである。であるから、骨の硬い鮎を箸にした時は、下流の水温の高い緩やかな流れに泥垢を食って育ったものと知っておく必要がある。
 利根川は中部日本では、四季を通じて最も水温の低い川の一つである。五月下旬から六月上旬、若鮎の遡上最も盛んであるという頃に、水温は摂氏の八度から十二度くらいを往復している。
 銚子河口や江戸川から冬中、海で育った小鮎が淡水に向かうのは三月下旬から四月中旬へかけて、雪解《ゆきどけ》水が出はじめた頃であるが、人の肌を切るような冷たい水を小鮎は上流へ、上流へと遡っていく。
 そして遡りつめたところは、死魔の棲むという谷川岳に近い水上温泉の下流二里ばかりの奥利根川である。この辺は真夏でも日中二十度を超えることが少ない。朝夕、水に浸ればふるえてしまう。それでも鮎は大きく育つ。五、六十匁から八十匁の姿となるが、胴が丸く肉が締まり骨はやわらかである。水が冷えれば冷えるほど、頭と骨がやわらかになる。秋の出水が上流の簗《やな》の簀《す》に白泡を立て、注ぎ去れば跡に大きな子持ち鮎が躍っている。その頃は、冷え冷えと流水が足にしむのであるが、鮎の骨は一層やわらかである。秋鮎の骨は、棄てるものではない。
 山女魚《やまめ》も、水温の低い渓流に棲んでいるものほど、骨がやわらかである。奥多摩川でも奥利根川でも、暑中水温の割合に高い中流に棲んでいる山女魚を見るが、これは骨が何となく舌に触わるのである。
 嶺の紅葉を波頭にのせて、奥山から流れる渓水と共に、里近い川へ出てくる秋の山女魚を木の葉山女魚というが、これは殊のほか骨がやわらかい。そして、食味もすぐれている。それは、渓川の水が次第に冷えてきたからである。
 産卵後間もない夏のうぐいは、肉に一種の臭みを持ち、骨が硬いために到底食膳にのせ得ないのであるが、秋水に泳ぐ頃となれば見返すほどの食味となる。鰍《かじか》の骨と肉も、水温と密接の関係を持つ。
 鰍の族が三、四十種あるうち、海近い河口に棲むダボ鯊《はぜ》に似た鰍は
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