》してこそ、味聖の心を知り得るのである。
筆者の経験したところによると、鮎の品質と岩質には深い関係があると思う。つまり、鮎の育った川の石の質によって、味と香気とに確然とした差が生まれてくるというのである。もとより筆者は、動物学者でも地質学者でもないから、科学的に示すわけにはいかないが、多年眼に川を見、舌に鮎を味あわせてきた識感が、我れから我れに物語る。
水源地方に、古生層つまり水成岩の層を持った川の鮎は品質が上等である。これに引きかえ、水源地方の山塊が火成岩である川に育った鮎は味も劣り、香気も薄い。殊に、河原に火山岩が磊々《らいらい》としている川の鮎は、まことに品質がよくないのである。これは、古生層の岩の間から滴り落ちる水は、清冽な質を持ち、それから発生する水垢は、少しの泥垢も交えないので純粋であるからよく鮎の嗜好に適している。ところが、火成岩の山塊を水源とする川の水は、水成岩のそれのように清冽ではない。従ってそこに発生する水垢の質は上等とはいえないのである。
そればかりではない。川底にある水成岩の石の面は滑らかであるから、鮎が石の面の垢をなめるに都合よくできている。これと反対に火成岩の石の面は甚だ粗荒である。鮎の口を損ないやすいことが知れよう。良質の水垢を豊かに食った鮎は香気が高く肉が締まり、泥垢を食った鮎は匂いが薄く、肉がやわらかである。こんなことを頭において鮎を見れば、食味に一段の興趣を添う。
秋気に最も敏感なのは水である。麓の村々ではまだ残る厚さに[#「厚さに」はママ]あえいでいるというのに、土用が終わって一旬も過ぎると、奥山の深い谿《たに》々の底には、もう冷涼の気が忍びやかにうかがい寄って、崖の小草を悲しませる。そして、里川の水は、日中は何とも感じないけれど、朝夕は人の肌にしみて遠い遠い渓流の初秋を想わせるのである。
その頃になると、鮎は成熟しきる。いままで花々しさを誇った青銀色の鱗の底から、そろそろ淡い紅の艶が、刷毛《はけ》で刷いたように浮かび出し、もう肥育が止まり、これからは性の使命にいそしむばかりであるという姿になる。この時の鮎は、味品の絶頂に達する。諸国自慢の鮎は、この初秋にとれるものをさすのであった。
実にお国自慢の鮎は多かった。これは、人情でもあり、ほんとうでもある。代表的なお国自慢は、鮎の多摩川である。大東京幾十万の鮎釣り党は、
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