河豚の鰭を焼いて酒中に投ずれば、悪酒変じて良酒になると言われているくらいであるから、よほど魔力を持っているに違いない。鰭酒の一杯は、人間の血管燗熟して妖気を発し、全身を乳湯のうちに浸けたように温気が湧いて、わが肉皮がゆるむと称されているほどだ。
兵庫県の加古郡高砂町の漁師は、なかなか河豚料理が上手だという話だが三浦半島の鴨居でも房総半島の竹岡でも、鯛釣りに行って鈎に河豚が掛かると漁師はすぐ料理して食わせる。まず、頭を向こうに向けて腹を上にし、右手に握り、糞落から庖丁を入れて下唇にかけて割き開き、腮、内臓を取り出しておいて皮を引き、肉を落とすという順序になる。そして柳刄で刺をそぎ落とし腮は出刃で血を抜きとる。腸は抜いて血を去り裏返してまた血をとる。脊骨のなかの血は針金を通して掃除し、肝臓は薄皮を剥ぎ賽の目にするのだが、血管の血を去るには塩を厚くまぶすのである。塩は血を吸いとる性質を持っている。そして洗ってさらに水に幾度か晒すのだ。トウトウミは、一種のゼラチン分だから剥ぎとって塩で血を抜き、白子つまり睾丸と笹身とは毒が少ないから、水洗いしたばかりでそのまま食える。河豚の肉は、かまぼこに入れると素晴らしくおいしくなる。伊予のかまぼこには、この肉が大分入っていて人から珍重され、これも河豚嫌いの犬養木堂が、それとは知らずいつも伊予からかまぼこを取り寄せて食っていたところ、そのかまぼこのおいしい理由を説いて聞かされ、急にかまぼこがきらいになったという話がある。
姫柚子《ひめゆず》の汁で、チリを食うとおいしい。刺身の醤油にもこれを入れれば、一層快味を増す。紅葉おろし、さらし葱、わけぎの薬味。それから加役として豆腐、茄子、新菊など。もう、冷涼の秋がきた。ちり鍋、すき焼き鍋、雑炊鍋。思い出しただけで、舌端に魔味迫り来たるを覚える。
きょう、上総の国、竹岡の漁師から肥った河豚が釣れはじまったという報せがあった。
[#地付き](一四・一〇・六)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
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