は、水が澱んで甕の面を覗いたように、とろとろとして瀞は動かぬ。
水際に立つと、自ら悽愴の気を催す淵である。この地方の人々は、これを相俣の淵と呼んでいるのである。
この淵に、よほど古い昔から恐ろしく大きな岩魚《いわな》が棲んでいた。淵の、主である。魚画を描いて日本随一と称せられる岸浪百艸居翁の研究したところによると、岩魚の相貌には男型と女型の二種あるというが、相俣淵の主は女型に類する方であった。
悪食の上に縦横無尽に行動する岩魚は、鋭い歯を持って口は深く割れ、丸い大きな眼に、いかめしい顔の造作を備えている。しかし、女性型の岩魚は男性型に比べて、顔の容に一種の優しみを持っているので区別されるのである。殊に背の鱗は青銀色に、腹の方の膚は白銀色に、体側には両面の肩から尾筒に至まで、朱く輝く瑠璃色の斑点を鏤《ちりば》めたように浮かせ、あまたの魚類のうちで岩魚は、まれに見るおしゃれであるのである。その麗容な岩魚の泳ぐ大きな姿を、晩秋の水の澄んだ真昼に、ときどき村人が淵の中層に見るという。
七
相俣淵の岩魚は、夜な夜な法師温泉の湯槽に美しい姿を現わすということも、この地方の人々に語り伝えられている。
一体、赤谷川の本流に添うて笹の湯、さらにその上流に古川温泉などがあるのであるけれどなにを好んで近くの温泉を求めず猿ヶ京、吹路、合瀬《かつせ》、永井などをへて遙々と法師温泉の湯槽に浸るのであろうか。それは、人間には分からない。
法師温泉の主人岡村宏策老に、このことについて問うと、老は高らかに笑ってはっきりとは語らぬが、三、四年前の晩春の夜半に、それらしい姿を浴槽の湯口のあたりに、幻のように、わが視線に映じたこともあったと答えるのである。その言葉から判断すると、この地方に伝えられる話にどこかいわれがあるのであると思う。
ところで、この美しい岩魚の姿を、ついちかごろ法師温泉の浴槽のなかで実際に見た人がある。それは、石坂賢彌であった。
賢彌は昨年の五月の末、山に漸く早春が訪れたばかりの法師温泉へ旅したのである。三国街道の入口、利根川の月夜野橋のあたりは、もう若葉が青葉に移る季節を迎え、流れの岸に青嵐が樹々の重い梢を揺すっていたが、後閑駅から西方八里奥にある法師温泉をめぐる山々や谷々は銀鼠色のやわらかい嫩葉《わかば》が、ほんの少しばかり芽皮を破った雑木林に蔽われていた。
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