あろうか。彫刻、絵画、工芸作品、舞踊、力士の体格などの美。いやいや、自然の美だ。闘牛、それ自身にはなんの作意もない。私は、動物美の極致にうたれた。孫七牛は、杢平牛に比べると少し小さく、二百三十貫位。杢平牛は、二百五十貫以上はあるであろう。
いままで二十数番見てきた闘牛の仕切りは、殆ど鼻と鼻との間隔が一、二尺程度であったけれど杢平牛と孫七牛の仕切りは、十間以上の間隔を置いてある。これは、何故かと問うて若月氏の説明をきくと、それは不思議に思うのが当然だ。実は、この杢平牛は戦場往来の業師《わざし》で、仕切りの間隔が短いと、いきなり相手の頭といわず面といわず、頸、胸といわず角を突き刺して一挙に凱歌をあげるという手を知っている。
つまり、相手にわが角の避けるだけの余裕を与えないのだ。もし、その場合に人間が、杢平の戦法を妨げして、相手牛に怪我を与えまいとすると、人間をもひと突きに、突き殺すという恐ろしい奴であるから、仕切りに十分の間隔を置いて、相手牛に身構えの時間を与えるのであるというのだ。
あっ、鼻糜を抜いた。イヤイー、イヤイーと呼ぶ牛方の声援が起こると、もう四周の崖の上は、雑然|鬧然《とうぜん》として興奮した。ウワーというどよめきが白髪神社を埋める杉の大樹の森を揺すった。
果たせる哉、杢平牛は神火を纏《まと》う龍の如き、凄まじき姿で、三十間ばかりの間隔を猛然として宙を飛ぶように突っ走った。この牛の角は、特に鋭い。その角を、孫七の頭上目がけて、骨をも通せと突っ込んだ。
かっ※[#感嘆符二つ、1−8−75] 孫七牛は頭を中段に構えて、この鋭い杢平の鋭鉾をがっちりと受け止めた。二秒、三秒。角と角が絡んで、そこから熱気が沸騰するかと思う。押した。孫七牛が、杢平牛の巨体を押した。西の土手に向かって押した。見物人は興奮、陶酔、戦慄――なにがなんだか分からない。
杢平牛の巨体が、ずるずるずると、十四、五間うしろへ押された。まだ鼻糜を抜いてから十秒とたっていない。押してくる孫七牛の角を、杢平牛は、するりとはずした。角力《すもう》のいわゆる肩すかしだ。
相手の角をはずして置いて、杢平牛は相手と頭を揃えて、平行した。つまり、肩と肩をならべて同一方向に立ったのだ。その瞬間、杢平牛はその鋭い左の角で、孫七牛のぼんのくぼへ、ひと突きくれた。
鮮血が、奔《はし》った。
双牛の後脚に、綱が掛かった。その途端に孫七牛は綱をはずして、西の口から村落の方へ向かって、疾風のように逃げだした。
五
その夜私らは、星野仙一氏方へ厄介になることになった。そして、食卓を囲みながら、二十村郷の闘牛のしきたりや、闘牛は単なる農村の娯楽でなく、農家増産の一方法であること、牛と飼主との愛情などについて、こまごまと話を承ったのであるが、今回は紙数が尽きたため、これらのことは次の機会に記すことにした。
その夜、二十村郷へきて、も一つ驚いたのは越後の豪農の大生活のことである。星野氏方の建物の大きさと広さ、物に豊かなことは、現在都会に住んでいる私らが見れば、むしろ一つのナンセンスでもあった。
翌朝、大内村に孫七さん方を訪うて、孫七牛を見舞うた。
孫七牛は、牛舎のなかに眼を閉じて、おとなしく跼《せぐくま》っていた。角の直後の脳天に、まだ黒い血がにじんでいるのを見た。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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