るような、街道に沿うところに、そんなささやかな貸家はない。しかし懸命になって捜し歩いた。とうとう、大井町の鮫洲の近くで一軒家を見つけた。京浜国道に沿ったところに、小料理屋が居抜きのままで譲るという。
 茶碗、小鉢、椅子、卓子までつけて、金百円でよろしいというのだ。天の恵みである。家賃が三十円の敷金が三つの九十円。まだ百円あまり残っている。一日、大工を雇ってきて、店をめし屋風に改造した。

  三

 米が二斗で、四円六十銭、それに野菜、香のもの、魚類に牛肉、味噌醤油まで仕入れて二十円とはかからない。牛肉は、こま切れであるが、これで牛めしもやる方針である。
 そこで、問題であるのは酒類である。女房は酒類を店に置くと、あなたが召し上がってしまうから、いけないという。私はめし屋に酒類がなければ、しょうばいにならぬと主張する。そこへ、近所の酒問屋から番頭が注文取りにきた。菰《こも》冠りの、にせ正宗四斗樽一本を、金四十円で入れましょうというのだ。
 正宗と名がついていれば、にせでもなんでもよろしい。店の土間の正面に、菰冠りがどっしりと鎮座したのである。まことに重厚。華麗な風景だ。懐中に残り少しとは言え、しょうばいするのに、貧乏徳利で小買いをなし、ひそかに徳利に移して、あきないをしたのでは威勢が悪い。客の見物している前で、きゆぅっと呑口をひねらねば調子が出ぬ。これでまず、お店繁盛疑いなし。
 翌日、開業。午前六時には、ちゃんと女房がめしを炊いて、いつ客がご入来してもよろしいよう準備し、夜は十時までしょうばいした。第一日は、来客合計六人、売りあげ一円九十銭、二日目は、来客三十人で売りあげが一躍十九円六十銭也。夜、寝る前に売りあげの勘定をして女房と顔見合わせて喜んだ。
 ところが、三日目から次第に客が減じて行き、来客平均十人程度で、売りあげが五円に達した日は罕《まれ》だ。一日毎に、心細くなった。しかし、米櫃の米は遠慮なく減って行く。その筈である。私ら夫妻に老父、子供が五人、子守りの老婢と給仕の婢で都合九人、来客の数よりも家族の数が多いのであるから、僅かな売りあげではあせらざるを得ぬ。
 そこで、心配になるのは菰冠りの問題だ。来客多数あり、盛んに銚子が売れれば文句はないけれど、このままであっては、日毎に陽気が暖かになって行く候であったから、にせ正宗では火が入ってしまうであろう。腐らせるよりも、わが輩が呑んだ方に意味がある。こういう結論に達した。それから呑んだ呑んだ。朝から夜半まで。客に売ったのは僅かに一斗あまり、三斗ばかりは二十日足らずのうちに、呑んでしまった。
 それ、ご覧なさい。
 女房は、四斗樽の運命に対して、己の予言の適中を誇るのであるが、ほんとうはこれからのしょうばいが駄目になったならば、自分達家族はどうして暮らして行くのかという切実な抗議が含みにある。
 なにはともあれ、やはり店に酒類を置かねばしょうばいにならない。四斗樽は既に呑み干して空になったのであるから、その補充について問屋へ相談に行った。
 そうですか、腹へ入れて置けば一番安心ですがね――。
 これからの日本酒は陽気を食いますから、こうしなすっちゃいかがです。電気ブランがよいと思いますが。
 電気ブラン?
 ご存じでしょうがね、これは重宝なんですよ。一升八十銭が卸値ですがね。それをそのまま小さなコップに注いで売れば電気ブラン、これは強いですよ。少し水で増量してコップに注いで売れば、それがウエスケ。電気の方は一升で小さなコップに五十杯は取れましょう。一杯十五銭に売って、七円五十銭の売りあげ、水を混ぜてウエスケとすれば八十五杯は取れる。一杯十銭と見て、売りあげが八円五十銭。日本酒よりもこの方が商いがやりやすうございますよ。
 酒問屋の番頭は、商売の秘法を教えてくれた。まことにありがたい。
 直ちに、電気ブランを一升仕入れた。しかし変わらず店に客は少ないのであるから、私は毎日電気ブランばかり呑んでいた。十五日間ばかり続けて呑んだら、顔が丸くぶよぶよにむくんで、青灰色に化けた。[#地付き](昭和二十一年三月中旬記)



底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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