、いやこれは、正真の猫肉じゃ。猫肉は、犬の肉のように闇赤色に濁って、下品ではない。恰も、若鶏の如くやわらかく白く澄み、風味たとうべからずであるから、食べてみてから文句をいい給え。
 さようか、分かった。しかし若鶏の肉にも似ているが、鰒《ふぐ》の刺身のようでもあるのう、貴公はもう試食済みか。いや、試食どころではない、常食にしちょる。猫肉は、精気を育み体欲を進め、血行を滑らかにすると、ある本に書いてあったから、先年来密かに用いたところ、なるほど本の通りであった。
 試みに、わが輩の顔の色沢を見給え、青年からさらに遡り童顔に等しかろう。どうじゃ、わが輩の腕の筋肉の盛り上がりよう。
 ところで貴公、貴公は先年来、猫を常食にしているというが、いままでに何頭ほど食ったかな、三十数頭。よう食ったものじゃ。してみると、貴公は猫捕りの名人ちうことになるな。
 それほどのことはないがね。
 そこで、友達甲斐に一番猫捕りの秘法を伝授してくれまいか、決して、他人には口外せぬことにするから。
 秘法伝授というほど、こみ入った術はいらぬのだけれど、まず猫の習性をよく研究するがよい。君は、知っちょるか知れないが、猫の通路ちうものは一定している。そこをこくめいに観察するのが、奥の手じゃ。わが輩は、わが輩の家と隣家との境をなす竹垣の破れ目が、猫の通路であることを先年発見した。
 どら猫も、きじ猫も、三毛も、ぶちも、虎毛も、黒も、灰色猫も、どれもこれもこの破れ目を通行する。細心なる観察を続けていると、隣の屋敷からわが輩の屋敷へ侵入してくる時は、必ずその路を通るが、帰りだけは、いずれも勝手の路を選んでいるらしい。尤も、帰り路には何か盗んで、棒切れや石塊で追い払われるのであるから、お成り街道ばかり歩くわけにはいくまいな。
 そこで、わが輩が考案したのは、締め縄だ。針金の十八番線ほどのものの一方を輪にして、それを竹垣の内側の破れ目へ、吊るして置くのだ。すると、猫の奴、隣屋敷から、ひょいと体を伸ばして破れ目を飛び越える途端に、首を針金の輪へ突っ込む。苦し紛れに前進したり、もがいたりすればするほど、針金の輪が強く喉を締め、食い込んで、ついに一叫の悲鳴だにあげ得ずして、はかなき最後をとげる段取りになる。
 凄き、手腕じゃの。
 ところが、近ごろ猫の奴が少なくなったは困った。そして、近所の飼主がわが輩の挙動に着目して、うろんの眼でわが輩を見るには閉口だが、まだ一度も抗議は申し立ててこん。犬や豚と違って、猫はその筋へ登録してないのであるから、正面切ってわが輩に苦情を持ち込むちうわけには行かぬのであろうけれど、もし抗議があったらわが輩にも言い分はある。ちかごろはその抗議を密かに待っているような次第だ。
 どんな言い分を持っちょるな。
 先ごろからわが輩は竹垣の破れ目の傍らへ立札を立てた。猫族余が屋敷内へ入るべからず、もし侵したるときは、撲殺を蒙る虞《おそ》れあるべし、世の飼主注意せよと書いた。猫は字が読めぬから、引き続きやってくるよ。
 手前勝手の立札じゃわい。
 だが、近時猫の奴の少なくなったのには困却したが、今夏は越後国南魚沼郡浅貝付近の山中から、またたびの実を採集して来て、これを塩漬けにして蓄え、毎夜垣の破れ目の内側へ一箇ずつ落として置くと、俄然大いに成績を盛り返したね。
 あれは、人間の酒のつまみ物にもなるな。
 なにはともあれ、おしやます鍋見参ということにし給え。
 本草綱目を繙いてみると、猫肉はその味、甘酸にして無毒とあって、食法が書いてない。倭本草には猫性を指して、気盛んなるとき爪を磨ぎ、喜ぶとき咽をならす、快きとき前足をもって面を洗う。他児を乳し、朝昼夕に変眼、鼻頭常に冷たく、死ぬとき身を隠し、またたびを好み、これをからだに塗りつける。と、あってこれにも料理の法がない。
 そこで、ありきたりのすき焼き鍋に入れ、葱と春菊と唐芋とを加役として、ぶつぶつと立つ泡を去るために、味噌を落としたけれど、少しくさみがある。本朝食鑑には、その味|甘膩《かんじ》なりとあるが、期待したほどでもなかった。
 次に、鍋に入れ水からゆでて、くさみを去るために、杉箸二本を入れて共に鍋に入れる。沸《たぎ》ったならば、目笊《めざる》に受けて、水にて洗う。別の鍋に、里芋の茎、ほうれん草を少々入れたすまし汁を作って置いて、それにゆでた猫肉を加え、再び火にかけて沸ったところを碗に分け、橙酢を落として味あったところ、これはひどく珍味であった。汁面に、細やかなる脂肪浮き、肉はやわらかくて鮒の肉に似て甘い。味は濃膩《のうじ》にして、羊肉に近い風趣があると思う。
 さて、はからずも老友に、時節柄素敵な秘法の伝授を受けた。今晩から、猫捕りに精進しよう。北米寒地のインデアンは、食糧に困ってくると、橇《そり》犬の皮
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