揃って、どこかへ昼餐を食べに行こうという手筈になったのである。
 約束の日は、土用に入る前のかんかんと照る焼きつくような暑い日であった。山岡は、例のモーニングを着用し、髭も剃りネクタイも新しいのを結んで出てきた。二人は、円タクに乗って両国駅の前の曲がり角まで行って降りた。
 私は、遠くから駅の入口の人混みのなかを物色した。いる、いる、兄妹二人で、駅前の庭の方を人待ち顔に眺めている。
『いるか』
 と、山岡は及び腰できくのだ。
『いる。あすこに二人で待っているが、ここではまだ君には分からない』
 山岡と私の二人は、緩やかに駅の入口の方へ歩いて行った。十五、六間前まで近寄ると、兄妹二人の眼は動揺した風である。顔や容《いろ》が色めき立った。まず、森山さんが私を発見し、私と並んで歩いてくる山岡を、それと睨んで妹の袖を引き、電光の如き敏捷さで眼配せしたに違いない。
 私は妹さんの顔を見た。森山さんと、瓜二つである。丸い顔に、剥げるかと思うほど厚くつけた白粉が、額から流れ落ちる汗に二筋、三筋溶けて、蚯蚓《みみず》のように赤黒い肌が現われている。低いからだを袂《たもと》の長い淡紫紅の夏羽織に包んだところは、まるで袋にでも入ったようだ。髪の毛はあかい、手は黒い。何と、お粗末の婦人だろう。一町もさきの遠方から森山さんを認めたとき、その傍らにいるのが、妹さんであろうと直感したのは、当然だ。
『あれだ』
 と、私は小さく囁いて山岡の顔を見ると、山岡は俄《にわか》にぷんとして形容のし難い苦い表情をしたのである。山岡も、逸《いち》早く彼の女の姿を認めて――あれだな――と、判断していたらしい。
 私は、山岡を捨てておいて、森山さんの傍らへ歩いて行って、挨拶も抜きにして、
『あの紳士です』
 と、囁いた。森山さんは、口の中で何か言ったが私には聞きとれなかった。そして兄妹顔合わせて、これも名状し難い表情をするのである。私は刹那《せつな》に――これは、いかん――と、思った。けれど、私は何食わぬ顔を、漸く装い作って、
『ご飯たべるところ、どこにいたしましょうか』
 こう、問いかけた。すると、森山さんはひどく不満らしい低く刺のある声で、
『きょうは、これでご免蒙ります――大へんご苦労さまでした』
 と、言ったなり兄妹二人は、後をも見ないで急ぎ足で、駅のなかの人混みの中へ入って行ってしまった。私は呆気《あっけ》にとられた。ところへ、山岡が小走りに走ってきて、これも甚だ語気鋭く私の顔を仰ぎ見て、
『君、人をからかうのはやめ給え』

     六

 翌朝、山岡から速達のはがきがきた。
 ――今後、君と絶交する――
 と書いてあるだけであった。私は、私の粗忽《そこつ》を悔いた。ああ止んぬるかなと思った。それから一週間ばかり過ぎると、森山さんから手紙がきた。それには、
 ――差し上げておいた写真と、戸籍謄本とを至急返送して貰いたい。次に、申すまでのこともないが、今後房州へ釣りにきても私のところへは立ち寄ってくれるな――
 と書いてある。
 つまらない出来心から、二人の知り合いを失ってしまった。下手な親切気など、起こすものではないと私は思った。
 ところが、それから十日ばかり過ぎると、絶交状を突きつけてよこした山岡が、突然私の家へ飛び込んできて、
『君、困ったことになったのだよ。この二、三日、毎晩夜半になるとあの女が僕の枕元へ、影のようになって立っているんだ。便所へ行けば、廊下に立っているんだ。腕を伸ばして撲《なぐ》りつけようとすると、もういない。恐ろしくて眠れないんだ――君、何とかしてくれ』
 と、蒼《あお》くなって言う。
『それは君、夢か現《うつつ》だよ。君、しっかりしろよ――』
『いや君、ほんとの幽霊だ』
『そんな馬鹿なことが――』
 私は魅《み》こまれたような思いがした。
 そんなことがあってから数日後、旧盆に仲造のところに僅かなものを贈っておいた礼手紙が届いた。その末尾に、
 ――一週間ばかり前、森山さんの妹が磯の高い崖の上から海へ飛び込んで自殺しました――
 と、書いてあった。これを読んで、
 ――山岡に、なんの怨みもあるまいに――
 と、思ったが、全身の血が頭へのぼったかのように、背中がぞくぞくと寒くなった。
[#地付き](一四・六・二)



底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さ
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