けた。
千万長者が、さらに儲けたのであるから婿さんから見れば、金は湯や水にひとしい。呑み、買う、幾人かの妾は置く。今日は博多、明日は大阪といった具合に、殆ど熊本の家へは寄りつかないのである。
夫婦の愛情など、生まれてくるものではない。ただ在るものは虚偽と虚栄と、冷たい空気ばかりである。来る日も、来る月も、来る年も、空閨の連続である。それでも、婦道を守り姑に仕えて、五、六年は過ぎた。
だが、本人は深く考えた。こうして、自分だけ人間の道を護っても、相手に反応がなければそれは無意味である。なおかつ、良人の家にあるとすれば、五十年、六十年の後には、枯木の倒れるように、空しく骸となって失せねばならぬと思う。
ある夜、思い切って熊本の千万長者の家を去った。そして、東京の兄の家へは立ち寄らず、直接猿ヶ京の母の膝下へ帰った。兄は、この結婚は失敗であったということを深く理解していた。妹が婚家を去ったという報《しら》せをきいて、猿ヶ京へ飛び帰り、厚く妹を慰めそして謝した。
母は、一言もいわなかった。ただ哀れなわが娘を抱きしめ、潜然《せんぜん》と涙の皺の頬に、流し伝えるばかりであった。
そのころ、この名門へ出入りする炭焼男があった。名門では日ごろ、この男に薪をきらせ、炭を焼かせて、一年の料としたのである。猿ヶ京の村から眺むれば、南は利根郡と吾妻郡の境をなす子持や小蜀子の連山に続いて、三国峠の山裾が伸びた重畳たる岳と谷、北六の背となるところは、初根郡と越後国南魚沼郡の国境をなす茂倉、谷川、万太郎、三国山など八千尺級の雪の峻嶺が奥へ奥へを続いている。
この炭焼男は、越後の南魚沼の浅貝方面の山中から来たらしい。年は三十二、三、頑丈な律気な青年である。日ごろは、猿ヶ京から五、六里隔たった万太郎山に近い山奥にこもり、炭が焼けると、これを背負って里へ下り、帰りには食い物を背負って行った。
男の素性はよく分からないが、だが、正直で純で、素直で力持ちで、浮世の塵とか垢とかはこの男に毛ほども絡《から》まりついていないのである。ほんとうの山男、人間そのもので煩悩邪悪の色は、一点も染まっていない。
兄も心配し、母も心配し、妹にそろそろ再縁の話がはじまった。まだ三十歳には間のある娘を、一生寡婦として捨て置くわけにはゆかぬ。母も兄も、気を揉《も》んだ。
二、三、話があってそれを娘に相談したけれ
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