ているのを見いだすであろう。それはやはり甲州の金峰山だ。金峰山は、なんとみめかたちよい山か。
標高八千尺というから、むろん秋から初夏にかけ、白い雪を頂いているのであろうが、四季濃紺の色に肌を染めているのは、わが村から眺める光線の角度によるのかも知れぬ。お隣の瑞垣山は、いずれかの山のかげに隠れて、面をださない。
それから東に眼を移すと、近くは上州北甘楽の稲含山、多野の西御荷鉾山、東御荷鉾山。遠くは武州と甲州にまたがる奥秩父の連山が、十重二十重に霞の奥の果てまで連なっている。近きは紫紺に、遠きは浅葱《あさぎ》色に、さらに奥山は銀鼠色に。
甲武信か国師か雁坂か、武甲山か三峰か、いずれがどれとも名は分からないが、奥秩父の高山が東へ向かって走ったその奥遙かに、奥多摩の雲取山が銀鼠色に、淡く煙って見える。太い平らな胴を台にして、熊の爪のように並ぶ三、四の小峰は、あれは雲取山の頂に違いない。
これで、上州の平野から眺望する四辺の山々に、眼を一巡させたが、秩父の連山はさらに東南へ低く伸びて、武州児玉郡か北埼玉郡の草野のなかに、裾を没している。
そこはもう、広茫たる関東平野だ。秩父山の消えるところと、野州の連山の消えるところのわが村から指して東南の一隅には、全く山を見ない。夏は、その地平線から白い雲が湧き、冬は灰色の浮雲が、その地平線に吸い込まれて行った。
上州の東南地方から武州、下総国かけて一望、眼を遮るもののない大平野である。一つの小山もなく、青い田と畑が、際限なく押し広がっている。この平野の尽くるところの海辺に東京の街がある。前橋から二十八里。
大正十二年九月一日の夜、大震災の火の手はいよいよ逞しく、東京の下町を殆ど焼き尽くしたが、天を焦がす猛火の反映が、燃ゆる雲となってむらがり立ち、関東平野の西北端にある赤城と榛名の麓の村々からも、東南の水平線に怖ろしきばかりに見えたのである。
東京も永い年月住んでみれば、万更いやなところでもない。こうして、お膝元を離れ麦田と桑畑に囲まれた農村へ帰り住むと、白雲が流れる東南の方、都の空がなつかしくもある。
私の、上新田の茅舎《あばらや》は、利根の河原へ百歩のところにある。朝夕、枕頭に瀬音の訪れを聞くのは、子供の時からの慣わしである。利根川なくして、私の人生はないようなものだ。四季、さまざま想い出の水が流れる。初夏には、母や姉
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