と、地肌に割れ込んでいるのが、手に取るように見える。箕輪の部落のあたりから富士見村の方へ割れ下っている襞は、あれは白川の流れであろうか。
 父は夕方になると山襞に添って黒くひろがる斑点を指して、幼い私に「白川狐」の物語を、麦田打つ手を休めて、語ってくれた。父は、前橋市宗甫分、昔の勢多郡上川向村大字宗甫分から、利根川の小相木の船橋を渡って、私の家へ養子に来たのである。前橋からの高崎街道は六十年ばかり前までは、宗甫分から利根川を越えて、対岸の西群馬郡東村大字小相木へ通じていた。そこに、船橋が架してあった。
 宗甫分に在った頃の青年の父は、いつも年の暮れが近づくと、村の長老鹿五郎爺の先達で、赤城の中腹にある箕輪村の近くへ、春の用意の薪採りに登って、幾夜も松林のなかへ立てた俄作りの掘立小屋に泊まった。ある年の冬の夜、その小屋の近くを流れる白川の崖に棲む「白川狐」の二匹が、一人の娘に化けて掘立小屋を訪ねてきたのに、青年の父が応待したという話である。
 二匹の狐が、一人の娘に化けたというのが、私ら子供の興味を集めた。一匹の狐が、一匹の狐の肩車に乗り、一体となって巧みに、姿のなまめかしい娘に化けた。
 そこで、娘は青年達が宿っている掘立小屋へ、夜の訪問とでかけたわけだ。思い設けぬ美人の訪問に、青年達は大いに喜んで厚くもてなした。そこで、私の父も家から持って行った餅を五切れ六切れ、榾火に焼いて、娘に馳走したところ、娘はおいしそうに、そして恥ずかしそうに、むしゃむしゃと盛んに食べた。
 ところで、頬ふくらして盛んに食べたのは、肩車に乗った上の狐である。肩車の下の狐は、これを見て、朋輩のやつ、ひどく旨いことをやっていやがるな。だが待てよ。ここらで、小生が食い意地をはり、ちょっかいを出せば、あらぬところで化の皮を剥がれる虞《おそ》れがあろう。
 待てば海路の日和《ひより》、そのうちには小生の方へも、お鉢が回ってくるに違いないと、下の狐はしばしがほど、辛抱に辛抱を重ねて、上の狐が青年共の隙を狙って、一切れの餅を股座《またぐら》へ抛り込むのを待っていた。
 が、しかし上の狐は甚だ友情に乏しい。手前ひとりで、食ってばかりいる。下の狐は、憤慨してむかっ腹を立てた途端にわれを忘れ、先刻の自制心を失い、裳《も》の間から素早く手を出して上の狐の持っている餅を奪って、股座の奥の横に割れた己の口へ、ねぢ込
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