魚を取り寄せるのは困難であったのである。であるから、漁場から塩漬けの鯛がきた。それも、半ば味が変わっていたのである。とはいえ、それさえ貴重品であった。
 正月は、家内一同この少しいかれている鯛を睨みくらべながら、杯を手にしたのである。そして、年賀の客にもこの鯛を、にらめさせた。
 若狭守は、用人七兵衛から、お肴を受けとった。見ると下々の『にらみ鯛』と同じなのに恐懼したのであったが、余りの事に半信半疑の体であった。
 それから七兵衛は鯛と一緒に頂戴した御酒一瓶を、内藤豊後守に贈ったのである。豊後は恭々しく[#「恭々しく」は底本では「忝々しく」]その酒を拝味したが、これは御酒とは名ばかりのものであった。
 豊後守は、京都町奉行の職にあったから、御酒の味について何事か思い当たるのであった。内藤豊後守は直ぐ家来の者を集め、禁裡御用の商人について、その奸曲を内偵させたのであった。
 当時、若狭守用人三浦七兵衛から、豊後守に送った書翰に、
『恐れ乍ら、書取を以て奉申上候。益々御機嫌よく御座遊ばさるべく、恐悦至極に奉存候。然らば、過日一寸奉申上置候御膳酒味として、極内々にて申し候に付恐れ乍ら持たせ奉指上候。私共にも下され兼ね候位之御風味にて、実に恐入候御事に奉存候。其余すべて御膳辺右に准じ候。御模様哉に相伺ひ申候。尚、恐れ乍ら御賢慮あらせられ候やう奉申上候事』
 と、記したのがあった。
 これに対して、豊後守の返事は、
『昨日は御膳酒御差越し、辱なく早速拝味致し候ところ、以ての外なる味、七分水、三分酒と申位の事に候。総じての儀、右に准じ候旨承知いたし候。この節取調中に候。その中否や申し入れべく候。且つ、器返却に付、有り合ひ麁酒差入申候。早々不備』
 というのであった。けれど間もなく豊後守は俄に江戸へ召されたので、御用商人検挙のことは中止となった。
         ※
 さて、近衛内閣は四月十九日の閣議において賀屋蔵相の立案した貯金奨励局新設のことを承認し、これを現政府の政策の一つに加えることに決定した。
 賀屋蔵相の考えるところによると、国民が協力して貯蓄精神を発揮すれば八十億円位ためるのはさほど困難ではない、というのである。そこで、我々国民もその覚悟をせねばなるまい。
 申すも畏き極みながら、以上に述べたように、ご時世とあってみれば、幕末の頃においては一天万乗の大君にましましても、あらゆるご不自由に堪え、ご質素を忍ばれたのである。我々赤子が、何で物を節して国力の涵養に尽くし得ぬことがあろう。大いに物を節約しようではないか。
[#地付き](一一・六・五)



底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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