るのであらうなどゝ、まことにのんきなことを考へながら、峠のてつぺんの茶屋の縁台に梨子《なし》を噛《かじ》つて、四方の風景にながめ入つた。
ところで私は、大した事件を発見した。それは矢の川峠を下つて、尾鷲駅から汽車に乗るとき買つた大阪新聞の産業欄に、このたび理化学研究所で、団栗から清酒を醸造することを発明し、全国各県の県農会に依頼して、大大的に団栗を集めると言ふ記事を読んだのである。そして、その記事の終りの方に、和歌山県農会当局の談として、本県でも理研からの依頼により晩秋になつたならば、全県の小学生を動員して、山林から盛んに団栗を拾はせる。たしかな見当はつかないが、およそ全県で二三万石は集るであらう。と、言ふのがあつたのだ。
いままでは、団栗とはたゞ俳味を帯びた山野の邪魔物であるとしか思つてゐなかつたのであるけれど、これによると吾々人生と甚だ密接の関係を持つてきたやうだ。吾々、嗜酒漂泊の徒は、声をあげて万歳を叫ばねばならない。
だが、私はこの記事を一読してなんとなく、一抹の虚寂を感じた。と、言ふのは猪の身の上のことである。団栗の稔りの秋に、小学生が大挙して山野を跋※[#「足へん+歩」、56−3]《ばっしょう》すれば、猪群は忽ち食糧難に陥るだらう。
今冬の猟期には、猪は痩せほそり皮は骨の袋となるに違ひない。物価の塩梅にはほんたうに賢明な政府諸公も、この猪肉の公定値段をきめるには、思案投げ首の苦境に陥るのではないかと考へられる。
二
猪に続いて哀れなるは、狸《たぬき》であらう。狸公も、団栗を食料として命を繋《つな》いでゐるのである。人間界に、団栗酒醸造のことあるを知るや知らずや、狸公の身の上も、少からず心配になつた。
私の故郷上州は、有名な狸の産地である。この事実は、館林の茂林寺にある文福茶釜の伝説などによつたものではなく、前橋市一毛町の毛皮商坂本屋の取扱高の統計によるのである。坂本屋の話によると、近くは秩父山から甲州路、東は出羽奥州、北は越中越後、遠くは飛騨《ひだ》の山々から、中国辺に至るまで、二三百年来手広く取引をなし、山の猟師が熊、鹿、狸、狐、羚羊《かもしか》、猿、山猫、山犬などの毛皮を携へて遥々《はるばる》前橋まで集まつてきたが明治になつてからはこれを神戸の商館へ持ち込んで外国へ輸出してゐる。しかし、奥利根の上越国境の山から出てくる猟人が毎
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