ころが、すっぽんは逃げるのが上手で、雨の降る夜など庭から這い上がり川の方へ出てしまうので、大分損を見たことがある。また、卵を孵化させて小さいのを飼ってみたが、これも大部分逃げられてしまった経験を持っている。すっぽんは、まことに育ちが遅い動物である。卵から生まれた時は五、六匁位で、百匁位に育つには三、四年、二百匁位になるには五、六年もかかろう。だから一貫目前後の大物は、十数年から二十年以上も経ているに違いない。
五
春四月ごろ、冬眠から眼覚めたすっぽんは、間もなく交尾期に入り、七、八月の炎暑に産卵する。川に続いた岡の砂地へ這い上がってきて、自分で砂を掘り穴をこしらえて、そこへ卵を産むと穴に砂をかけて川へ帰って行く。卵は日光に照りつけられ、その熱の作用によって自然に孵化するが、生まれた一銭銅貨位のすっぽんは一両日穴の中に蠢《うごめ》いていて、やがて親のいる川の中へ入ってしまう。すっぽんは泥底の川にいるものよりも、砂底の川に棲んでいるものが質が上等である。泥底にいるのは、一種の臭みを持っていて珍重できない。砂底や、岩の間に巣を営んでいるのは爪を見れば分かる。これは爪の先が磨滅して鈍くなっている。ところが、泥底に棲んでいたものは、爪の先が鋭く尖っている。養殖のすっぽんも同じことだ。すっぽんを買うときには、よく爪の先を究《きわ》めねばならないのである。
このほど、宮城のまわりの堀渫いをした時に数匹のすっぽんが網に掛かってきたのを見ると悉く爪の先が鋭くとがっていたというが、これはお堀の底が、泥であるのを物語っているのである。そして、すっぽんは卵を産んでから後は、十月の末頃まで川の中で餌をとっていて、晩秋の冷気がくると川の底の砂にからだを埋め、首だけ出して冬眠に入る。
重松代議士は、盥のふちに双手をつきながら、こんな話を長々として、最後に、
『娘共の料理では、大したこともあるまい。明日は、からだが閑《ひま》だから一番僕が手をかけて、このすっぽんを割烹して進ぜよう。お腹をすかせて置いて、やってきませんか』
と、呵々と笑う。随分、腕に自信がある風であった。[#地付き](一三・一〇・八)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
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