どん」に傍点]と言うようになっている。
『わたし、パン』
 と、妹の方がつづいていった。この子は、どういうわけか小さいときから麺包《ぱん》が好きだ。
 そのことがあってから兄の方は、夕方学校から帰ってくると、うどんかけを二杯ずつ毎日食った。そして、まだ物足らぬような顔している。この子は、もう中等学生であるから、学校から腹をペコペコにして帰ってきて、うどんかけ二杯くらいでは、充分というわけには行かぬのは自分たちにも覚えがある。
 妹の方は、朝も麺包、お弁当も麺包にしたいというのだ。朝の麺包のときは紅茶に角砂糖をいれてください。お弁当には、三盆砂糖だけでいいわ、などという。
 そこで驚いたのは家内である。饂飩も麺包も一週間に一度、せめて二度位であったなら、なんとか家計の繰りまわしもやれますが毎日では堪りません。麺包が一斤二十五銭、うどんかけが二杯で二十銭。それに砂糖、紅茶、バターなどと贅沢をいえば一日に六、七十銭はかかるでしょう。
 その上に、御飯も食べるのですよ。つまり、麺包とうどんはおまけみたいに、なってしまいます。これでは、とてもお勝手の方がやりきれないのですが、何とかあれをやめさせる工夫はございませんか。という始末で、家内には大事件となった。
 なるほど、そうだのう。
 そこで、私はうどんと麺包をやめさせる工夫を考えてみた。しかし、子供に家計の実体を知らすのも何だからと思って、お前たちよ、うどんも麺包も小麦粉からこしらえるのは知っているだろう。だが、いま日本にあり余るほどの小麦粉はないのだ。私が百姓している時分は、小麦は一石八、九円から十一、二円であったのが、今では二十三、四円もしている。
 これは、加奈陀《かなだ》と豪州から入ってくる小麦粉に政府が高い関税をかけて防ぎとめたために、日本で耕した小麦の相場が、今のように高くなったのだけれど、それと当時に産額も増してきた。それでも相場が下がらないというのは、こんどは日本の小麦粉を外国へ輸出するようになったからで、ここでお前たちが大口あいてうどんや麺包を食べると、やはり日本の食料が減って虻蜂《あぶはち》とらずになるから、いままで通り七分|搗《づ》きばかり食べたらどうだい、といましめてみた。
 家計のことから説かないで、小麦の大切なことを話したのは、あるいは顧みて他をいう類であったかも知れない。ところが、男の子の方が私
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