ろ》の鉢植がありました。石榴は直水《じかみず》を嫌うからと、鉢が大きな水盤に入れてありました。それに実がいくつか附いた時などはお喜びにもなりますが、誰にでも褒《ほ》めてもらいたいのでした。どこからか古い雛段《ひなだん》を出して来て順序よく並べ、暫《しばら》くするとまた並べ替えるのでした。大釜《おおがま》を古道具屋から買って来て、書生に水を一ぱい張らせます。夕方植木に水をやるのは私の役でした。そんなですから私も自然|見真似《みまね》をして、小さな鉢に松や南天などの芽生《めばえ》を植え、庭に出る事が多いのでした。
 或《ある》曇り日の午後、ふと出ていらしたお兄様は、杖《つえ》を手に庭の飛石を横ぎるとて、私の木蔭《こかげ》にいるのを見て、「おい、行かないか」と声をおかけになりました。「はい」と御返事をして、そのまま手の土を払って附いて出ました。古びた裏門を出ると、邸の廻りに一間幅《いっけんはば》位の溝《みぞ》があって、そこに吊橋《つりばし》が懸っています。それを下《おろ》して、ずんずん右の方にいらっしゃいます。左はそこらの大地主の広い庭で、やはり溝が廻《めぐ》って、ぽつぽつ家つづきなのです。縦の小路《こうじ》を曲ると宿場の街に出ます。右の方は崩れかかった藁葺《わらぶき》の農家が二、三軒あるだけで、あとは遠くまで畠や田圃《たんぼ》が続き、処々の畦《あぜ》には下枝をさすられた榛《はん》の木が、ひょろひょろと立っています。
 なかなか足がお早いので、兵児帯《へこおび》が腰の辺で絶えず動きます。私は長いおかっぱをゆらゆらさせて、離れまいと附いて行きます。木の狭い橋を渡って、土手へお上りになりました。その堤は毎日通う小学校の続きになるので、名高い大橋に対して小橋という、学校の傍の石橋の下《しも》になって、細い流《ながれ》が土手下を通っています。私は近くを散歩なさるのかとばかり思って、傍へ寄って、「お兄さん、遠くまでいらっしゃるの」と聞きました。大好きなお兄様ですけれど、何だか遠慮で、あまり話などはしないのでした。それまで何も仰しゃらなかったのが、「いや」と一言だけで、左へむけてお歩きになります。この辺はちょっと家がありますが、また両側に何もない長い長い土手が続くのです。あまり通る人もありません。私は心細くなりました。お母さんにお断りもしないで、不断著《ふだんぎ》のままで外へ出たのを
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