れたと驚くばかりですが、それにつけても、晩年にはもっと静養させたかったと、ただそれだけが残念です。晩年の頃に、たまたま尋ねますと、いろいろ心遣《こころづか》いをなさるので、それがお気の毒に思われてなるべく伺わず、伺っても長坐せぬようにと心懸けたのですから、その頃の動静はよく存じません。尋ねて帰宅してから、いつも主人と古い時代の頃の噂《うわさ》をしたことでした。
 主人は兄より二歳の年長です。昔からの名代《なだい》の病人で、留学中に入院したこともあり、多くの先生方にも診《み》ていただきましたが、はかばかしくありません。その病症も不明なのです。帰朝後もその職に堪えられるかどうか案じられたほどで、誰もがいつ死ぬかとばかり思っていました。同僚中で結核の重症といわれた山極《やまぎわ》氏と、どっちが先だろうと較《くら》べられ、知人の葬式に顔を合わす度に、今度は君の番だろう、といわれるのは入沢《いりさわ》氏でした。
 それがいつともなく快方に向い、知人の誰より長命したのですが、ただ一切あたりに心を使わず、体の動く間は研究室に通って、自分の思うことだけを心任せにしていたのがよかったのでしょう。家族の者も、主人に心配させるようなことは一切しませんでした。晩年は、世にある方たちには思いも寄らぬ少額の恩給だけでの生活でしたが、家内中の誰も、それを不足だとは思いもしませんかった。いわば主人は心が平《たいら》かだったので、それが保健上何よりの条件と思います。あの何事にも忍耐強かった兄が、身体の衰弱のためもありましょうが、晩年には時々|甲高《かんだか》い声も出されたと聞いた時には、身も縮むように思いました。
 けれども今になって、詰まらぬことは申しますまい。割合に短命だった一生に、兄はあれだけの仕事をせられたので、それが永久に残るのだと思えば、この上の満足はありますまい。本人も地下で微笑していられるでしょう。謹んで兄の冥福《めいふく》を祈りましょう。
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ながらへてまたかゝるもの書けるよと
    笑みます兄のおもかげ浮ぶ
命ありて思ひいだすは父と母
    わが背わが兄ことさらに兄
ゆきまして三十《みそ》とせあまりいつもいつも
    忘るゝ間なく君をこそおもへ
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  昭和三十年盛夏
[#地から3字上げ]小金井喜美子
[#改丁]

   くずもち
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