な絵の中に、牧童が牛の背に乗って、笛を吹いている顔が可愛らしいので、何枚も画いてもらい、「もっと可愛くして頂戴《ちょうだい》」といって笑われた事もありました。
 程近い旧藩主の邸内に、藩の人たちが御末家《ごばつけ》と呼ぶお家がありました。御親類つづきなのでしょうか、若い美しい御後室《ごこうしつ》と幼い姫様とがお住いでした。綾子様《あやこさま》、八重子様《やえこさま》と申すのですが、皆おあや様、お八重様といいました。父が御診察に伺った時、飾ったお雛様《ひなさま》を拝見して来て、「実に見事なものだよ。御願いして置いたから拝見にお出《い》で」ということなので、母と一緒に伺いました。お仮住いなので広くはありませんが、床の間に緋毛氈《ひもうせん》をかけた一間幅《いっけんはば》の雛段は、幾段あったでしょうか。幾組かの内裏雛、中には古代の品もありました。種々の京人形や道具類がぎっしり並んでいて、あまり立派なので、私は物もいわずに、ただ見詰めておりました。
「よくこれだけのお品を、お国から傷《いた》めずにお持ちになりましたこと。」
「私どもがそこに住んでいましても、蔵の品はいつか知らぬ間に減るばかりで、土地を離れたらどうなるやらと、この子もいる事ですから、こんな手狭《てぜま》なのに送ってもらいました。」
「さぞかしお荷造《にづくり》が大変でございましたでしょう。皆よくわかった人たちばかりで、悪い事などいたしますまいに。」
「いいえ、そうでもございません。或朝ふと気がつきますと、金蒔絵《きんまきえ》の重箱が、紐《ひも》で縛って蔵の二階の窓から、途中まで下《おろ》しかけてありました。きっと明るくなったので止《や》めたのでしょう。」
 御後室は、にっこりお笑いになりました。人の心のとかく落附《おちつ》かぬ頃、御主人はお亡くなりで、よくお世話する人もなかったのでしょう。その頃御本家では、葵《あおい》の御紋を附けていられた夫人がお亡くなりで、お子様もなく、寡居《かきょ》しておられました。藩出身で今は然《しか》るべき地位にある人が、「ちょうどお似合に思われるから、お後添《のちぞえ》に遊ばしたら」とお勧めしたそうでしたが御承知にならず、あや子様は何かと人の口がうるさいからと、丈《たけ》なす黒髪を切っておしまいになりました。お年は十九なのでした。誰も惜《おし》まぬ人はありません。その小さいお姫様を
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