匠を施すべき範囲が甚だ狭い。つまり和装本の形式は、丁度和服が殆ど手のつける余地のない程、完成し切った形体であると同じである。現在公刊本に此の和装の形式が変形乍ら用いられるのは、僅に箱だ。即ち、題貼り形式がそれである。稀に数奇を好んで本にも之が用いられるが、木に竹をついだ感じでおちつけない。
折本仕立に至っては画帖、書帖の類の外は殆どないといってもいい位だ。であるから、この記述では和本仕立の装綴については之を省いて触れることをしない。
現在行われている洋式装本をみるに大別して三種である。即ち、略装、本装、華装だ。猶、この外に仮装を分ける方がいい。これは略装に含ませてもいいが、観念が別の所から出発するから分ける方が正しい。
仮装は、ただ糸かがりをし、簡単な上被で之を覆い、綴じ放しの截ち切らず、即ちアンカットが常道である。時にしゃれて、又は特に形を特別なものにするためには截たれるが、三方折り放しのままが本然の姿だ。之はつまり、読者が自分の好みに本装をするために用意された形式であって、刊行者は中味だけを提供するというわけ。之を截たないのは、本装の折に截断によって本が小形になることを忌むためである。紙の折都合よりももっと別の形、当然の形より変えたい場合には、非常に舌を片よって多く出したりする。それだけでみると随分変な奇態な外観を呈している。仮装は、巷間之をフランス装という程、フランスの本は仮装が多い。仏蘭西では所蔵家が自らさせる所蔵装綴が普及発達しているし、又自ら手がけて装本をたのしむの、彼国の美術心の発達によるものと云えよう。日本の仮装は一般に相当親切に綴じられているが本場の仮装の綴じは各詮自性、ただ散り散りにならぬ程度のぐたぐたなものが多い。由来から考えればそれでいいわけであって、かかる本は、再読三読するためには本装をしなければならない。フランス装の名が出来ているだけあって日本の本は仮綴でも相当丁寧にかがられているし、小口などもよくそろえてあるもの少くない。蓋し日本のように再製製本が大部分崩れた本の作りなおしやノートの合冊位にしか用いられぬ習慣や、又芸術的な製本をやる製本業が全く発達していない現状ではこうしたことも一方法であり、仮装も立派に一装本形態として独立性を多分に持って来るわけである。この仮装を、その観念を更に一層徹底させて、上被も用意せず、糸も通さない出版
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