は一層美しい花を見たいと思つて居る。独立自恃の精神のあるものは容易に他の援助や庇護を希はない。しかし援助を与へて庇護を加へらるべき第一の資格は此の独立自恃の精神の存在である。一昨年以来菊が私に示した悲壮な態度、その元気の頼もしさに私も心から栽培を促されるのである。同情や援助といふものは求めても無暗に与へられるものではない。猥りに左様いふものを求めざる人こそ与へらるべきであるのだ。
それから又、いよ/\菊の苗を分けようとするときに、如何なる苗を選ぶべきであらうか。勿論吾々は最も有望な苗を選ばなければならぬ。一株の古根からは幾十本となく若い芽が吹き出して居る。それが一様に生気に満ちたもののやうに見える。しかし経験のある栽培家は思ひもかけぬほど遠い所へ顔を出して居る芽を択ぶのである。親木のわきに在る芽はどうしても弱い。よくよく自分の活力に自信のあるのが親木をたよらずに遠くまで行く、其意気を栽培家は壮なりとするのである。私も今年は勿論そのつもりである。
世に云ひ古された、「今日になりて菊作らうと思ひけり」といふ俳句、是は格別文学的でもないかもしれぬが、秋を迎へてから他人の作つた菊の花を見て、羨しく思つて眺める気持を詠んだもので誰にも経験しさうな事であるだけに有名な句になつてゐる。しかし此句を修養的に味つてみようとする人は、秋になつたらもう遅い。此句を誦みながら庭なり畑なりへ下り立つて季節を失はずに、しかも自分で土いぢりを始めるならば、やがては其花の如く美しい将来が、其人の身の上にも展開して来るであらう。
私はさきにもいふやうに落合村の百姓で、歌人でも何でも無いけれども、今日はあまりに気候の心地よさに、歌のやうなものが少しばかり出来た。それを此所で御披露に及ぶといふことにしよう。
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さ庭べの菊の古根も打ち返へし分ち植うべき春は来にけり
菊植うと下り立つ庭の木の間ゆもたま/\遠き鶯の声
取り持てばもろ手にあふれ籠に盛れば籠にあふれたる菊の苗かも
十の指土にまみれて狭庭べに菊植うる日ぞ人な訪ひそね
今植うる菊の若草白妙に庭を埋めて咲かずしもあらず
今植うる菊の草むら咲き出でて小蜂群れ飛ぶ秋の日をおもふ
武蔵野の木ぬれを茂み白菊の咲きて出づとも人知らめやも
武蔵野の霞める中にしろ妙の富士の高根に入日さす見ゆ
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[#地付き](大正十二年三月二十三日談)
底本:「花の名随筆3 三月の花」作品社
1999(平成11)年2月10日初版第1刷発行
底本の親本:「會津八一全集 第七巻」中央公論社
1982(昭和57)年4月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月18日作成
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