ポにては人類の第二の脊椎に石鏃《せきぞく》の立ちたる儘《まま》の物を發見《はつけん》し、フランスのフヲンリヤルにては人類の脛骨《けいこつ》に石鏃の立ちたる儘《まま》の物を發見したる事有り。本邦《ほんほう》に於ては未だ斯《か》かる發見物無しと雖も石鏃の根底部《こんていぶ》或は把柄《ひしやく》に木脂《やに》を付けたる痕を留むる物往々有りて能く※[#「竹かんむり/可」、78−下−10]《やがら》を固着せし状を示せり。矢有れは弓有り、弓有れば絃《げん》有り。コロボックル遺跡《ゐせき》に石鏃の現存するは、間接《かんせつ》に彼等が※[#「竹かんむり/可」、78−下−12]《やがら》、弓及び絃を有せし事を證《しよう》するものと云ふべし。矢には羽根《はね》を付くる事有りしや否《いな》や考《かんが》ふるに由無し。※[#「竹かんむり/可」、78−下−13]は細き竹或は葭《よし》を以て作り、弓は木或は太《ふと》き竹を以て作りしならん。絃《げん》の原料は植物の皮或は獸類《じゆうるゐ》の皮を細く截《き》りしものなりし事|勿論《もつろん》なれど、余は此絃には好《よ》く撚《よ》りを掛《か》け有りしならんと考ふ。そは土器表面|押《お》し付け模樣《もよう》の中に撚りを掛けたる紐《ひも》の跟《あと》有るを以て推察《すゐさつ》せらる。撚りの有無と絃《つる》の強弱《きよじやく》との關係は僅少の經驗《けいけん》に由つても悟《さと》るを得べき事なり。弓矢は鳥獸獵《てうじゆうれう》に於ても用ゐられしなるべく、人類|同志《どうし》の爭鬪《さうとう》に於ても用ゐられしならん。或は海獸大魚を捕獲《ほくわく》するに際《さい》しても用ゐられし事有る可きか。水中に矢を射込む事其|例《れい》無《な》きに非ず。石鏃は石器時代|遺跡《ゐせき》に於て他の遺物《ゐぶつ》と共《とも》に存在《ぞんざい》する[#「共《とも》に存在《ぞんざい》する」は底本では「共《ともぞ》に存在《んざい》する」]を常とすれど、左の諸所にては山中に於て單獨《たんどく》に發見されし事有るなり。
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(一)山城國比叡山頂 (山崎直方氏報)
(二)信濃國大門峠 (若林勝邦氏報)
(三)飛彈國神岡鑛山 (西邑孝太郎氏報)
(四)同國大西峠頂上 (田中正太郎氏報)
(五)同國高城山絶頂 (同氏報)
(六)羽
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