とは未来派の画家であつたからだ。
(五)
私と秋辺とが、なぜに彼女の真実なものをこはがらなかつたか。
私と秋辺とは、未来派の宣言書第九項
『吾れら、世界唯一の衛生なる戦争を、軍国主義を、無政府党の破壊的行動を、人を殺す所のうるはしき観念を、しかして婦人の軽蔑を讃美せんとす』
といふ未来派の主将マリネッツイの『婦人軽蔑』を信じ、これを彼女に適用したのである。
どうして私や秋辺が、女たちのもつとも軽蔑すべき箇所をおそれる理由があるだらう。
私をいつか銭湯でおびやかしたシラコ[#「シラコ」に傍点]の婆さんの様に、私たちの一団のためにまつたくお麗さんも羞恥をうばはれてしまつた。
女たちが裸をおそれる理由は、お麗さんが全身に濃く白粉をぬつてきてまで、現実的なものを最後まで偽り、掩ひかくさうとする虚栄的な目的にほかならない。
私と秋辺とは、彼女の前方に、存分に彼女の羞恥をうばひそして最後に馬鹿々々しくなつてきた。
そしてお麗さんの背後を描き出したころ、始めて羞恥を放り出した男たちが、をそる/\彼女の前方に廻つて描き出した。
――秋辺すばらしいものを発見した、婦人にこんな美事にかくれた意志があることを発見したよ。
――うむ鋼鉄艦の意志だ。
秋辺も同感した、不意に女の背中を平手で、ぴしやり、ぴしやりたゝきつけて秋辺は感激しお麗さんを驚かしたのであつた。
婦人の首筋から背中にかけての感じは、非常にすぐれたものであつた、腕と腕との間隔は広大で、ゆたかな線が盛りあがつてゐた。
其後私は女たちの最も美しい箇所を、鋼鉄艦の意志をあらはした広い背であることを信じるやうになつた。
(六)
研究所は一ヶ月程つゞいた。それきりお麗さんはばつたり来なくなつた。
それはお麗さんに、画家たちがモデル代を支払はなかつたからであつた。
研究所は閉鎖しなければならなかつた。その後蘭沢の口から、私の『最後まで疑問にしてゐたこと』お麗さんが少しも裸体をおそれなかつた理由を聞きだすことができた。
私は最初からの思惑通り彼女が芸術の理解者ではなくて、お麗さんの家は非常に貧困で、彼女が芸術のためにの口実に、両親や、姉妹のために米代をかせぐべくモデルとなつたことが判つた。
勿論親たちが彼女の裸になつてゐることは知らなかつた。
研究生がさつぱりあつまらず、それになにかにと経費を意外につかつてゐたので僅か三十円の金であつたがとうとう彼女へは支払へなかつた。
蘭沢を始め人々は、彼女の裸を散々絵筆で突つき廻した揚句金を払はないなどゝいふ行為をこの上もなく罪悪と感じた。
――神よ我々を罰し地獄におとし給へ。
仲間はかく内心にさけび、そして悲壮な顔をした。
しかし私と秋辺とは彼女の羞恥心をうばつたことを、彼女への大きな報酬と信じてゐた。
そして私は、そのお麗さんを描いたもの、その一枚の裸婦の画題を『未来派万歳』と命名したのであつた。
底本:「新版・小熊秀雄全集第一巻」創樹社
1990(平成2)年11月15日新版第1刷発行
底本の親本:「旭川新聞」旭川新聞社
1927(昭和2)年1月18日〜23日
初出:「旭川新聞」旭川新聞社
1927(昭和2)年1月18日〜23日
入力:八巻美恵
校正:浜野 智
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
2006年3月3日作成
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