その首は原つぱの獄門にさらされた。

 一方山塞の手下達はなにほど待つてゐても、大将が山に帰つて来ないので大騒ぎとなつた、それまで手下達は手分けをして一探しにでかけた。
 一人の若い馬賊の手下がそつと街に忍びこんだ、丁度街端づれの広つぱにある刑場の獄門の下をなにごころなく通ると。
『おい/\』
と、上から呼びとめるものがある。
 獄門の横木の上には探しあぐんだ大将の首は酒のよいきげんで手下を呼びとめた。
 二日酔ひでれりつ[#「れりつ」に「(ろれつ)」の注記]の廻らない舌で大将の首は。
『やい、やい、いま頃何をうろ/\歩き廻つてゐるのだ』
と、手下をどなりつけた、それで手下は大将が行方不明になつたので山では皆心配をして手分けをして探してゐたのだと答へた。
『これは親分、とんだ高いところに納まつて、だいぶ上機嫌でございますな』
『えへへへへ』
と、馬賊の手下は大将の上機嫌の首を見あげて、いかにも酒が飲みたさうにお追従笑ひをした。
『山に帰つてみなにさう言へ、なあたまにはこの俺さまを見習へつてな、人間らしい気分になつて一杯やりながら月でも眺める殊勝な心にもなつて見ろつてよ、人殺しの不風流者奴が、あはゝゝ』
 大将の首は、たいへんな元気で手下を叱り飛ばした。
 その翌日《あくるひ》大将の首のすぐ隣りに新しいひとつの首が載つかつた。
『親分、お許しがでたもんで、まつさきに月見のお仲間いりに参つたやうな次第でえへへへ』
 新しい首はまつ赤に酔つぱらつて、とろんこの眼をしながら大将の首に言つた、それは前日の馬賊の手下の首であつた。
『うむ、よく来た、まあ考へて見れよ、この俺もよく/\考へてみたさ、妙に世の中が小癪にさはつて憎らしくつて、物盗り人殺し渡世をこれまでやつてきたものゝ、一人でも人間の数をへらしたい、一銭でも多く世の中から金をへらしたいといふ心からの俺の仕事もけつくはみなくだらない仕事に終つてしまふ、酒でも飲んで、月でも眺めて、歌でも唄つてゐりやつみがない人間さまよアハヽ』
『親分、共鳴々々いくらしやちほこ立つて手足をばた/″\やつたところで、人間は土の上で虫でさ、動かない塵ひとつ、髪の毛が風にふかれてゐるのと、けつくはをんなじでサ』
と、言葉をついで手下は。
『そこで親分、街の酒場で鱈腹酒をのんでから、さあ俺は馬賊だ斬るなり殺すなり勝手にしろ、と大あぐらを組んだところが、すこぶるかん単でさ、冷たいものがすうと首筋を撫でたと思つたら、首と胴とが泣き別れで獄門の上で寒風に晒されるといふわけですからな。だが小便がでないんでなか/\酔ひが醒めないといふ。
 洒落がでるといふ次第ですな』

 それから大将の首と手下の首とは陽気に流行歌《はやりうた》の合唱をはじめた。
 その翌日《あくるひ》また新しい首が殖えたその翌日またひとつ首が殖えた、そしてものゝ十日も経たぬうちに五六十の首が獄門の横木の上にずらりとならんでしまつた。
 それがみな馬賊の手下共の首であつた。
『さあ、みんな揃つたか、さあ陽気に始めた/\』
と、大将の首は一同の首を見渡して歌の音頭をとつた。
 それから賑やかな合唱が始まつた。
 街の人々は獄門の酔つぱらつた首が毎夜のように合唱を始めて寝つかれないので、なんとかして貰はなければ困ると刑場の兵士に苦情を持ちこんだ。
 それに兵士も獄門にあまり沢山首がならんで、もうひとつの首のせ場所もなくなつてしまつたので、或日馬賊の首をひとまとめにして街端づれの広い草地に、大きな深い穴を掘つて、その墓穴の中に埋めてしまつた。
 上から土をかけられてしまつたのでそれから後《のち》月をながめることはできなかつたが、それでも陽気に馬賊の首は歌をうたひ続けてゐた



底本:「新版・小熊秀雄全集第一巻」創樹社
   1990(平成2)年11月15日新版第1刷発行
底本の親本:「旭川新聞」旭川新聞社
   1925(大正14)年1月1日
初出:「旭川新聞」旭川新聞社
   1925(大正14)年1月1日
入力:八巻美恵
校正:浜野 智
2006年2月24日作成
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