やつた芝居が巧くいつたら文句がないぢやないかといふ――意見もあらうが、俳優や演出家の劇芸術に対する良心性は我々も充分に認める。
 ▼然し上演劇曲の成功、即その劇団の成功とは、軽忽には考へられない、新協劇団と新築地が何れも面白い芝居をみせてくれたとしても、そこにそれぞれその劇団の特質的な面白さ、成功さといふものを具体的に示してくれなくて、この二つの劇団が一つに合併しても少しも変らないやうな単一化が最近の傾向だとしたら、相当の危険が隠れてゐると云ふべきである。
 ▼新築地の「綴方教室」や新協劇団[#「劇団」は底本では「劇壇」と誤記]の「春香伝」は何れも近頃の努力的な上演であるが、この二つの劇団がまるで場所を取り替へたやうに、新築地は、おそろしく地味な劇曲を、そして新協劇団は「夜明け前」のリアリズムの後に、思ひもかけない華麗な「春香伝」の舞台面を展開してゐる、その飛躍ぶりは非常なものであるだらうかといふ疑問も起きる。
 ▼ただ「春香伝」は朝鮮の伝説の紹介であるといふ文化的意義があるので、新協のこれまでの態度の継続であらうといふ理由づけができるが、そのことだけの値打を認めて、上演の方法に関して
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