、彼の画にはあの形式には、珍らしい強い物質性が出てゐるといふ点である。形をもつて空間を攻めるといふやり方は、その描き残された空白の部分に、強い物質性が顕れる。酒井三良氏の持ち味は従つて解脱しない佳さにある。磯部草丘氏もまた線描をもつて画面を圧倒してしまふといふ逞ましさがあつて、これまた解脱しない佳さである。そして大智勝観氏はどうか、この作家も他の二人と同様に、解脱しない佳さがある――芸術家が解脱などをしたら大変なことになるだらう。何故なら解脱は死だからである。そして非解脱は俗物化なのである。大智氏の作品は、酒井氏、磯部氏のもつ近代的要素にも、優れてゐても、決して劣るとも思へない。大智勝観氏の作品は一言にして言へば『新しい』のである。解脱的死の作家でもなければ非解脱的俗物作家でもない、むしろこの両端の中間を辿る作家である、その意味でも酒井氏、磯部氏も同様であると言へる。
ただ大智氏が他の二人に較べて違ふところは、色に対する執着が、ずつと少いといふこと、水墨を最上のものとするといふ精神的立場がある。酒井、磯部氏の絵には色気がある。大智氏の場合は、墨一色の世界に境地がある、しかし大智氏がそのために彩色画を軽蔑してゐるといふのではない、事実彩色もしてゐるのである。青や紫を使つてゐても、大智氏の場合には、その色彩を墨色と同様の扱ひをする、墨以外の色を、墨の扱ひのできる作家といふのは、日本の画壇にはさう沢山はゐないのである。だがこゝで誤解を避けなければならない、それでは大智勝観氏は『黒』の作家であるが、私はこれまでの文章で、ただの一度も大智氏の[#「の」に「ママ」の注記]『黒』の作家などとは言つてはゐないので、その点を曲解されては困るのである、『墨』の作家だとは言つてゐるが『黒』の作家だとは言つた覚えがない、それでは『墨』は『黒』ではないのか――さういふ疑問も起るであらう。
そこで私はさうした疑問をもつ人に斯う答へよう『まさに墨は黒にちがひない、しかし墨は色ではない――』と、私のいふことは何と屁理窟に聞えないだらうか。しかし大智勝観氏は私と同じ意見をもつてゐるといふことを此処で伝へたいのである。
大智氏は黒は色の部分に編入されるが、墨は色の世界から除外して欲しいといふ意見をもつてゐる。こゝで通俗的な例をあげると、小学生の八色とか十二色とかの水彩絵具の中には『黒』はあるが『墨』とはなつてゐない。こゝまで述べてくると、どうやら墨と黒とが別なものだといふことを薄々理解してもらへるだらう、しかしその事は格別に私の発見でもなんでもない。そのことを理解してゐる人にとつては私の意見などは平凡な説にちがひない。しかし私はこゝで墨の論を説くのが目的ではなく、一人の作家が全く『墨』の精神を拠点として仕事をしてゐるといふこと、その作家とは大智勝観氏であるといふこと、この兎角に黙殺的な待遇をうけてゐる作家の作品の本質が墨にあるといふことを、ここで強調する機会を得たといふこと、つまり私は一つの墨の理論の発見をしたのではなく、墨の精神の保持者の発見といふ点で、それは一つの発見に違ひないと信じてゐる。この墨の精神とは目下ずるずるべつたりに前進してゐる日本画壇の方向に対して、一つの、『日本的本質』の問題の提出といふことになると思はれる。
墨が色でないといふ考へ方に、もう一つを加へて、大智氏は『金』を取りあげてゐる。墨と金は、色彩の分布の範囲を超えて存在する。精神的なそれであり、その強烈で物質的なことは、他の色と名附けられてゐるものと、全く異つた作用をするといふのである。墨や金泥は全く孤立した効果をもつてゐる。赤とか紫とか其他の原色、中間色は他の色彩との関係でどのやうにも、自分をゆづる、一つの可変性をもつてゐる。それなのに墨や金泥はこれらの色彩のやうに他の色との関係での普遍的な連帯責任をもつことをしない、この二色はさながら人間なら自我の強い、それのやうに、時には排他的な特質をさへ示す。なかなか他と妥協をしたがらない、しかしそれだけに墨や金泥を巧みに使ふときは、『効果を超越した効果』を獲ることができる。
大智氏は曰く『墨と色とは結局同一なものですがそこへ到る境地は難かしい。色ばかりやつてゐる人が墨絵をやつても駄目でせう。その反対に墨さへ技術的に叩きこんでおけば、色彩画は楽です――』といつてゐる。大智勝観氏は墨の以外に近来彩色画も描く。興味のふかいのはこれらの彩色ものの、色の本質である。私は氏の彩色ものから驚ろくほどの、『紅』にはまだぶつからない。しかし清麗そのものの『青緑』には、殊に小品ものでは接してゐる。大智勝観氏は精神的拠所を『墨』において、色彩的には『青の作家』といふことができるだらう。
大智氏は『墨を運しては五色具はる』といふ境地をもつてゐると共に、それ
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