張りをしつづけてきたといふことは、画商が彼のためにかはつて頑張つてくれたわけでもなからう、その土牛の頑張とは、その態度の謙譲であることでもわかるやうに、また謙譲とは忍耐の代名詞でもあるのである。「喜は謙遜な人々にとつては旅が極りなく、財宝が無限であることを知ることにある」とはラスキンの言葉であるが土牛の生活は、絵を描くことだけの楽しみに、どうやら極限されてゐるやうである、彼の謙遜もその意味に於いて、絵の旅の極りなく無限の財宝を、自己のものとした喜びの態度と見られるだらう。
 土牛はその気質の上からいつても運命的な作家であつたといふ意味からも画壇の七不思議の一つであつたことは確かである、印象批評が彼を「名人芸だ」とか「神品」だとか言つて、何事も語らなかつたから、一層不思議さはふかまつた。少しも彼を具体的に知らうと人々は努力しないのである、土牛の忍耐その作風、たとえば「八瀬所見」に現れた矛盾、線がをそろしく老人臭くて、色が若いといふ表現などはどうしたことか、この矛盾の美が、観た者の感覚を倒錯させながら、感心させてしまふ、その手法はいつたいどこから来たのであらうか、土牛を論ずるとき、いつたい土牛といふ作家は誰の門下であつたらうかと熟考する必要がないかどうか、線が老人臭く、色が若々しいといふのは、師匠梶田半古の流れを汲んだものとして、土牛自身にとつては不自然なことではないのである、梶田の傾向は老人の傾向なのである、土牛の性格的頑張りも、土牛の画風的突離しも、芸術的の高さも、梶田半古伝来の素質といつても過言ではない。梶田門下には不屈な精神と、強い自己断定がなければ、筆をすゝめないものがある。画商が彼を大家にしたとは画商の自惚であらう、例の松田改組の大混乱の渦中に、奥村土牛はボンヤリと立つてゐたのである。周囲は騒ぎ、その混沌は物理的に言つても、物質の衝突の只中では却つて動かないものに、中芯が集るものである。
 大臣二代に亙る画壇騒動は、何等かの型でその渦中にある人々を犠牲にした、暗闇から牛を曳きだしたやうではなく、暗さが去つたところに、土牛といふ作家が立つてゐただけである、洪水が去つた後の河泉の底に水が去つたことに依つて、大きな石があつたことがわかつただけである。或ひは世間で言はれる言葉に「石が浮んで木の葉が沈む」といふ皮肉な現象がこゝに現はれたと言つてもよからう。
 奥村土牛はその石であり、周囲の喧騒のもみ合ひの中で、超然としてゐたことが、却つてこの作家を社会的表面に浮かびだすといふ結果にさせたと言ふことができるだらう。こゝに一人の超党派的人物がゐたことを、画壇ジャナリズムは発見したのである。土牛が超党的であつたことが、彼を担ぎあげるにもつとも適当な理由となつたのである。どの派にも与《く》みせず偏しないといふ超然主義は、その画風の上にもはつきり現はれてゐるが、その人柄の上にも、態度の上にも現はれてゐる。しかもその表面的な温和の底には、梶田半古仕込みの峻厳なものが隠されてゐる。彼は自分で胴上げをされてゐるといふことを自覚してゐるが、その胴上げをされることを拒まない。しかし胴上げをされてゐる方よりも、胴上げをする方がやがて疲れてしまふことを、賢明な土牛は知らない筈はないのである。
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上村松園論


 いまここに上村松園氏の作品に対して、筆をすゝめてゆかうとする場合に、批評者は一つの心の用意を必要とする。何故なら、松園女史の世にも美しく麗はしい作品に対して、いつたい何をしやべらうとするのであるか、まづその点からも、上村松園氏の作品は、「批評なし――」で結構存在するのである、他からとやかく言はれなくても、作品の値打の保証されてゐる今日、いまこゝで何をか言はんや――なのである、批評家の心の用意とは、そこの点を言つたものである。批評を必要としない作品に対して、それを敢て行はうとするときは、心の用意が必要ではあるまいか、松園氏の作品に対しては、然し展観ごとに諸々で批評もされてゐるし、いまではその批評も画一的なもので、常識的なものである。一般の批評家の松園論が、常識的なお座成りなものに堕してゐるといふこともまた然し理由がないことではない。
 これらの批評家達は、松園氏の作品をなまじつか批評をしようとするからそこに常識的な答へより出て来ないのである。もしその批評家が、単に「批評」といつた作品の値打を評する程度のところに止めておかないで、「批評に塩を利かした方法」といふものを採つたなら、少しは松園氏の作品の本質に触れることができようといふものである。風景とかその他の題材的な作家の作品であれば、一応一般的な批評方法もあてはめることができる。しかし、人物画家殊に上村松園氏のやうな美人画家に対しては、風景並の一
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