きないのである。この既定事実の上に立脚して、そこから何かを抽き出すといふことが、絵画上の出発なのである。
若い批評家や作家が、日本画の封建性伝統性を否定することが強くて、肯定する力をソロバンに入れない場合の、所謂、先輩、大家の仕事に対する、無理解は、早晩十畝氏ではないが、マラソン競争の三十周位から、ボツボツと落伍を始めるのであらう。
私が画壇の先輩に対する後進者の態度といふものを、ここで問題にしてゐる理由は、先づもつてその態度を設定してからでなければ、松林桂月氏の作品に対する評価は慎むべきであるからだと思ふからである。何故なら横山大観の画壇的地位を、ことごとく彼の政治的手腕に帰するといふことが滑稽であるのと同じやうなものである。大観の作品には少しは見所のあるものもあらうからである。しかもその少しばかりの見所のある作品で奇怪なことには、画壇の大御所的地位を保つてゐるといふことが更に不審といへるだらう。それでは少し許り良い作家ではなく、大いに実力的な作家であるのかもしれない。その間の事情が不明瞭のまゝで、大観の地位は保たれてゐるのである。しかも人々は何等大観の本質を解析しようとしない。さうした事情と同じやうに、松林桂月氏の画壇的位置も、その作品の地位は、その作品の本質を語られないで、保たれてゐるといふ感がまことに深い、桂月氏がいつか九品庵の展観に出品した『田家雪』といふ作品を、或る批評家がかう書いてゐた『この雪に爺や何処より帰り来たらん、漁の具合はどうだ。孫も子も夕餉の膳にはと待ち居る如し――』この批評は考へてみれば滑稽な批評なのである。日本画壇の批評は大体に於いて、この程度でも済むのであるし、通用するのである。絵を見て引き出された批評語が『この雪に爺や何処より帰り来らん――』的程度より一歩も出てゐない現状では、これでは作品批評といふよりも感想といはれていゝ、感想としてもかなりに低俗な見方に属してゐる。しかし私はこの批評を頭から笑ひはしない、大体南画形式の日本画は観る者をして『この雪に爺や何処より帰り来らん』的な東洋的センチメンタルに捉へるものが少くないから、桂月氏の『田家雪』といふ作品が、観者をこの種の感傷にとらへたからとして、それが誤りであるとはいはない。大観氏にはこの種の性質の感傷で、観者を捉へるといふ効果がしばしば用ひられる。ぽつかりと竹林の上に浮んだ月が、思はずホロリとさせる場合もある。桂月氏の場合にも、たしかに『田家雪』はホロリとさせる画である。しかし桂月氏の作品を問題にする場合は、『この雪に爺や何処より帰り来らん――』的な作品よりも、もつと冷酷な非感傷的な作品に優れたものが少くないのである。『竹林高士』といつた古淡無慾な主人公を、竹林の下に静坐させるといつた、東洋的雰囲気は、一見無感情にみえながら、東洋独特の悲劇的なテイマなのである。桂月氏が老爺を雪の中をトボトボと歩かしたり、竹林の下に瞑想的な人物を坐らした作品は少くない。しかもこれらは何れも観るものをホロリとさせる効果をあげてゐる。桂月氏の人間観は、従つて『秋景山水』のやうな自然の中にポツリと立つてゐる。或はトボトボと歩るいてゐる人間の様子をもつてよく覗ひ知ることができる。しかしこの人物を描いて観るものを南画風にホロリとさせる桂月氏をもつて、或は氏の人間観の一斑を窺ひ知ることができるとしても、それを以て全部とは即断できない、それよりも点景人物によつて人間観を知り、その他の残されたもので自然観を知らなければならない。何といつても桂月氏の作家的特質は、その描く[#「く」に「ママ」の注記]とした人物によりも、その人物の背後の自然にある。殊にその自然描写も多くの作家が整理をもつて、その方法としてゐるのに、桂月氏は錯雑たる自然を描き切つてしまふといふところに、氏の他の作家の真似のできない特長をもつてゐるのである。
錯雑たる自然といふ意味は、ありのまゝの自然といふ意味である。そのありの儘の意味と、桂月氏の場合は、他の作家と少しく態度が異つてゐる。桂月氏の問題となるところは、その作品の材料の扱ひ方と、それに併ふところの手法の二点にある。材料の選び方は、全く野放図な状態で、まるで行き当りばつたりに庭の一部や、自然を描いてゐるかの感をさへ与へる。桂月氏の画風は、ちよつと見にはいかにも技術的な技巧的なそれに思はれるが、事実はこれに反して、桂月氏位自然を描くことに、人工的な方法を極度に避けてゐる作家は珍らしいのである。桂月氏の手法は人工的ではないとは言はない、しかし芸術は手法上の人工性を全く避けるといふことは不可能だといつても言ひすぎではあるまい、しかしこの方法が造りものであつてもそれは手段であつて、目的の前には消滅する性質のものだといふことができるであらう。
満洲国への献上画
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