味のことをいつた、芸術するといふことは表現するといふことに違ひないが、対象の真髄を把握もしないで、急行列車的に、自然歪曲の手段をもつて表現なりとすることも自由であらう、またさうした作家が多いのである、しかし川村曼舟氏は、表現といふものをさう甘くは考へてゐないと述懐した、曼舟氏はもし寿命が恵まれたならば、自分は今後に於て、表現の世界に入つて行かうと思つてゐると語つたが、氏は自分で今までの仕事は芸術表現といふよりも、自然の記録としての表現であるといふことを認め、この仕事を一通り終へなければ、真個うの意味の『表現』には入れないものであるといつてゐるのである、曼舟氏のこの言葉の正しさを我々は認めなければなるまい、三十歳台、四十歳台で、一にも二にも表現、表現と叫んで自然ではなく、奇矯な形態の作品を描いて自己満足し、芸術表現なりとしてゐる人々と、較べるときは、曼舟氏は年齢的にいつても、明治十三年生れであることを思へば、悠々たるものを感じさせる、我々は川村曼舟氏のこの言葉を信頼したい、六十に近く、或は六十歳をすぎて始めて、絵画上の表現に没入するといふ、その計画と態度は、全く気の短かい作家の真似のできない点であらう、もしそれが事実として顕はれた場合は、恐るべき仕事ができる筈である、しかしまた曼舟氏がこれまでの自分の仕事は、自然の記録である、また人間的には謙遜な模写の態度であるべきで、自然の一本の枝を自由にひんまげるといふ権利を得るまでに至るには、さう生易さしいものではない、六十歳位になつてから始めてその権利を辛うじて得られるだらうといつた、自然と人間との関係は非常に愛情的なものである、またさうした言葉を川村曼舟氏が吐き得たといふことも、氏がこれまで厳格な写実主義者として歩んできたから始めてそこに到達できたものであると考へる。
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児玉希望論
いまこゝに児玉希望氏の擁護論を書くとすれば、児玉氏の世間的な常識性を支持することになるのである、一般的な児玉論といふものは、どれを聴いてみても、非常にデリケートなものだと思はれる、美術雑誌の経営者から、観察された児玉氏――美術評論家から観察された児玉氏――、美術記者から観察された児玉氏――、画家から――、一般観賞者から――それから同じ画家同志から――とこれだけ区分してみても、この作家の批評位、区々としてゐるものはない、このまちまちとした児玉論は、その原因はどこから出てゐるのであらうか。
一言で示せば、児玉希望ほど、毀誉褒貶の渦中にゐる画家は珍らしいと思はれる。しかもそのまちまちの批評は、児玉氏が決して画家型の作家でなくて対外的にも活動的な作家であるといふ理由で、その批評は少しも統一される機会が与へられないとも言へる。
彼がもつと引つ込み主義の画家であれば、さういふ批評の千差万別といふものは生じないのである。読者諸君がこゝでそのことを他の画家に当てはめて考へてみればすぐわかるであらう。またさうした引つ込み主義の中で、形式をつくりだし、それに依つて画格をつくりださうとしてゐる画家もまたあるわけである。
その点で、児玉氏は決して引つ込み主義でもなく、形式主義者、気取り屋ではない。やることに開放性があり、それが他人に、理解と、誤解とを同時に与へるやうな立場に立つ、そしてそこに味方も多ければ、また敵も多い作家といふ立場が生じてくるのである。
雑誌経営者は、児玉といふ作家は甚だ与《く》みし易い人でまた無類の正直者だといふと、その雑誌の経営下にある記者は、いやどうして彼位に腹黒い男はないといふ、この意見の違ひといふものは甚だ面白い、真実の彼をいつたいどこに求めたらよいだらうか。彼を擁護することは、彼のもつてゐる通俗性を擁護することになるといふことは、その意味を言ふのである。即ち児玉希望はその描かれた作品の批評価を超越して、賑やかにこの種の通俗的人間批評が巷を横行してゐるといふこと、そのことに引つかゝるのである。
彼を良しとして擁護することは、彼のこの通俗的なゴシップ的なもの、或は彼自身の画壇的な行動といふものと、すべて全幅的に容認し、擁護する立場に立たなければならないといふことがある。しかし私は批評家としてみるときは決してそのことが難かしいことではなく、態度の上ではつきりと決定されることなのである。
児玉希望といふ作家はどうですか――といふ質問を画家仲間にでも、美術記者にでも発してみたらいゝ、画家はきつとかういふでせう――さあ、良い作家でせうね、と仮に悪い作家だといふ人がゐたとしても、その悪い理由を明瞭に自分で知つてゐないし、説明するだけの悪い理由を語り得ないから、結局、単純に良いと言つた人と同じ批評を生みだしてしまふ。
私は児玉希望の評価の仕方は、
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