いやだ、いやだ、をしました。
ふと、トロちやんは、夜店の金物屋さんが
『悪魔は爪から出入りをしますよ。』
といつたことを思ひ出したのでさつそく、お母さんに爪切鋏できれいに、手足の長く伸びた爪を切つていただき、そして顔や手足を洗つて寝床に入りました。
お母さんは喜んで
『トロちやんは、なかなかお姉さんになりましたね、御褒美に明日は、トロちやんと、ミケとに赤いお座布団をこしらへてあげませう。』
と言ひました。ミケといふのは、トロちやんの大好きで仲善しの飼猫です。
そこでその御褒美を楽しみに、眠りました。
真夜中頃、トロちやんの枕元で、ごそごそと、誰やら歩るき廻るやうでした。ふと眼をさましました。見ると背が三寸位の小さな人間が、行列をつくつて、トロちやんの枕元を、わい/\騒ぎ廻つてゐました。
尖つた帽子をかぶり、痩せた顔で、みなりつぱな長い八字髯を生やしてゐました。
小人《こども》達は、トロちやんの指のあたりを走りながら
『親指にも扉《と》がしまつてる。』
『人さし指にも扉がしまつてる。』
『中指にも扉がしまつてる。』
『くすり指にも扉がしまつてる。』
と歌つてゐました。トロちやんは、さては爪から出入りする悪魔達だな、と思ひました。
『しめたッ、小指の扉が開いてた。』
突然、悪魔の一人が叫びました。悪魔たちは、わつと叫んで、先を争つてトロちやんの手にかけのぼり、いちばん肥つちよの悪魔が、まつ先に、トロちやんの小指の爪に頭を突込みましたが、体が肥えてゐるので、思ふやうに入りません。
トロちやんは、たいへん驚きました。
お母さんがきつと小指の爪を切つて下さるのを忘れたのに違ひない。
かう思ひましたので、ぱつと寝床からとび起きて、絵本の上にのせておいた爪切鋏を、枕元からとつて、あわてゝ小指の爪をチョキンと切りました。
肥つちよの悪魔は、爪を切られて、転げ落ちました。
『さあ、みな扉がしまつた、逃げろ、逃げろ。』
『爪切鋏は怖ろしいぞ。』
悪魔はかう口々に云つて、散々ばらばらに、逃げました。
その逃げる格好は、それは滑稽で、机の足に頭を打ちつけたり、壁に衝突したり、電燈の笠にかけあがつて、辷り落ちたり、それは、それはお可笑なあわてやうでありましたので、トロちやんはお腹を抱へて大笑ひをいたしました。
夜が明けました、トロちやんは、お母さんに、その朝、昨夜《ゆうべ》の悪魔が、爪から入らうとして、トロちやんにチョキンと爪を切られて、逃げだした話をいひました。
お母さんや、お兄さんや、お姉さんは、トロちやんの大まじめの顔での、お話をきいてみな大笑ひをして、トロちやんの勇気をほめてくれました。
『お母さんは、トロちやんの小指の爪を切るのを、忘れたかしら』
かうお母さんが言つて調べてくれました。小指の爪だけ忘れてありました。
お母さんは、そこで爪切鋏で切つてくださいました。そして前日の約束通り夜遅くまでかかり、ちやんと仕立ててあつたトロちやんと、小猫のミケの小さな花模様美しいお座布団を、御褒美にくれました。
トロちやんと、ミケとはそれにならんで座りました。ミケも嬉しさうに、座布団の上に、立ちあがつて、両手両足をながながと伸ばし、トロちやんの顔を見ながら、背伸びをいたしました。
トロちやんは、これを見て驚ろいて、
『ミケ爪を出したら悪魔が入るのよ。』
と叱りつけました。
ミケも驚ろいて、ニャーンと鳴いてくるりと小さく座つて、爪をみんな隠してしまひましたとさ。(昭3・11愛国婦人)
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豚と青大将
田舎で豚飼をしてゐた男が、その豚飼に失敗して、何か仕事を見つけようと、都会にやつて参りました。
この男は正直者でした。ただお酒を飲むとおしやべりになるといふ癖がありました。
ところがお酒を飲まない平素《ふだん》は、たいへん話下手で、それに吃りました。
お酒は、この男にとつて、油のきれた歯車に、油をそゝいだやうなものでした。
都会にやつてきても、この男はお酒をたくさんにのみました。
上機嫌になつて、酒場《バー》の中で、おしやべりを始めだしますと、同じ酒場《バー》のお客さんたちは、
『そろそろ、吃りの男に、油が乗つてきたぞ。』
と、ぽつぽつと、一人去り、二人去つて、しまひには、お客は、豚飼の男たつた一人になつてしまふのでした。
まつたく、その男の話といふのは、馬鹿々々しい、それは、それは退屈な話でありました。
お客さんたちが、腹をたてるのも、無理がありません。或る日もこの男は自分が豚を飼つて失敗をした話を始めました。
最初の間は、お客さんも、親切に、そして熱心に、この男のくどくどと長つたらしい、話をきいてくれました。しまひには、腹を立てました。酒場《バー》の亭主や、酒場《バー》の娘さんは、不機嫌な顔をいたしました。そして
『お酒をやめなければ、あなたは偉い人間にはなれませんよ。』
といふのでした。
さてその男の、馬鹿げた話といふのは、かうなのです。
*
男は、北海道の、それはそれは広い、草ばつかりの丘の上で豚飼をはじめたのでした。
まず最初、三頭のりつぱな種豚《たねぶた》を買ひこみました。この三頭の親豚を資本《もとで》にして、四五年のうちに、五六十頭も子豚を、殖やさうといふのでした。
豚は、玩具《おもちや》のやうな小さな貨物列車にのつて、やつてきました。男はその三頭の種豚を、駅まで出迎へにまゐりました。
豚たちは、いづれも元気でした。長い旅行をしてきたのに、脚一本傷ついてゐなかつたのです。豚はぴんぴん跳ね、そのあたりの草原をころげまはりました。
男もうれしくなつて、道の傍から、一本の棒切れを拾ひ、それで上手に、三頭の豚のお尻をかはるがはる殴りました。そして豚小屋の方に連れてゆきました。
ところが、男は道をまちがへて、とんでもない、河のあるところへ出てしまつたのです。
そこで男は、河の面《おもて》をながめながら、ちよいと小首をかたむけて、思案をしました。
『ちよいと、豚さん冷めたいよ』
かういつて、豚飼の男は、三頭の豚のうちで、いちばん肉づきのよい、重い豚の首筋を押へつけて、河の中にいれました。
その河へ押入れられた豚は
『いやだ、いやだ。』
としきりに首を振りました、男は
『やつこらさ。』
とその豚を手早くひつくり返してしまひました。そしてその豚をお舟にして、一頭を小脇に抱へ、一頭を背負ひ、男は豚のお舟にのりました。そして無事に、男と二頭の豚とは、向うの河岸《かし》に着くことができましたが、可哀さうに、お舟になつた豚は、たらふく水を飲んだので、岸につくといつしよに、ぶくぶく沈んでゆきました。
『これは大変なことが出来たぞ、これを死なしては大損だ。』
男はうろたへて、その豚のお腹を、力まかせに、殴つてみたり、さすつて見たりいたしましたが、とうとう生き返りませんでした。
そこで仕方なく、その死んだ豚は、通りかかつた農夫にやつてしまひ、生き残つた二頭の豚を追ひながら、夕方ちかくになつて、新らしく建てられてゐる豚小屋に着きました。
翌日のことです。
一頭の豚は、男が親切に、とり替へてやつた[#底本の「。」を削除]寝藁《ねわら》を蹴飛ばし、水桶をひつくり返して、小屋中水だらけにして広い除虫菊畑にとびだしました。
その日は、お天気がよかつたので、豚は小屋の中に、居るのが嫌だつたのでせう。
豚は男の大事に手入れをしてゐた、除虫菊畑を歩るきまはつて、花をすつかり踏みにじつたので、男は腹をたてました。
『なんといふ不心得者だらう、勘弁はならない。支那人の料理人《コック》の言つたやうにして、懲《こ》らしてやらなければ。』
豚飼の男のお友達に、支那人の料理人《コック》がをりました。そしてこの料理人《コック》の話では、豚のお尻の肉を、庖丁で削りとつて、その切りとつた痕に、土を塗つてをけば、翌日ちやんと、もとどほり肉があがつてゐるといふことでした。
そこで男は、豚を木柵《もくさく》にしつかりとしばりつけてをいて、肉切庖丁を、一生懸命に磨ぎ始めました。
あまり腹を立てたので、手元がふるへて、庖丁を磨いでゐる最中、小指をちよつとばかり切りました。
『豚奴が、刃物とまで共謀《ぐる》になつて、わしを苦しめようとしてゐるのだらう』
と、そこでますます腹をたてました。
やがて庖丁がギラ/\と研ぎ上ると、種豚を押へつけ、お尻の肥えたところを、掌《てのひら》ほどの大きさだけ、庖丁できりとつて、そのあとに土を塗つてをきました。
その夜は、豚のお尻から削りとつた肉を、鍋で煮て、お酒をのんで、おいしい、おいしいといつて男は眠りました。
翌る日のことです。豚のお尻の創《きず》あとは、ちやんと治つてをりました、以前にもまして脂肪《あぶら》がキラキラと光つてをりました。
『ほう、これは不思議、なかなか便利ぢやわい。』
男は喜んでその日は、前日左の尻の肉を切りとつたので、こんどは右の尻を掌ほどの肉を切りとりました。
その翌日、大変な事が起りました。
何時ものやうに、種豚のお尻の肉を削りとらうとして、尻に庖丁を切りつけました。そのとき、何処からともなく、物の焦《こ》げつく匂ひがしてまゐりました。
つづいて、パチンパチン、と何やら金物の割れる音がしました。
男は鼻を、ピク、ピク、させました。
『これは失敗《しまつ》た、フライパンを、火にかけたまま来てしまつたぞ。』
お台所に、駈けつけてみると果たして肉鍋は、火の上で割れてゐました。今度は豚小屋に引返してみると、豚はお尻に庖丁をさしたまま、高い石垣から転げ落ちたので、胴体が、すぽりと、二つに切れて死んでゐました。
二頭の豚をなくした男は、生き残つたたつた一頭の種豚を大切にいたしました。
『豚小屋を、きれいにするのはお可笑《かし》い。豚小屋は昔から、汚ないところときまつてゐるのに。』
と近所に住むお婆さんに笑はれたほどに、敷藁の取り替《かへ》や、床板のお掃除に、一生懸命になりました。
ところが豚のお腹が、だんだんと、太鼓のやうにふくれてきました。男は豚の赤ちやんの産れる日を、首を長くして待ちました。
男が畑で作物の手入れをしてゐた或る日、急に豚小屋の方が騒がしくなつて、元気のよい、
『一匹産れたピー』
といふ豚の子の口笛がするのを聞きつけました。つづいて
『二匹産れたピー』
といふ、空にもひびくやうな朗らかな声がきこえました。男は『それ豚の子が産れた。』と飛びあがつて喜び、手にもつてゐた鍬《くは》を投りなげてかけつけました。
二匹の可愛らしい子豚は、口を尖らし、口笛をふき、手足をのばしたり、跳ねてみたりして、母豚《おやぶた》の体のまはりを走つてゐました。
ところが、男がよくよく親豚を見ると、親豚は、なにやら青い長いものをのんきさうに、ぴちや、ぴちや、といやしく舌なめずりをしながら、水でもなめるやうな口をして喰べてゐるのでした。それは一匹の青大将でした。その喰べる容子は、たいへん熱心でした。親豚は、これを喰べてしまふまでは、赤ちやんの方は、おかまひなしといつた顔付きをして、叮嚀に噛んでゐるのです。子豚もまた母豚《おやぶた》にはおかまひなしに、
『三匹産れたピー』
『四匹産れたピー』
『五匹産れたピー』
『六匹産れたピー』
と、口笛をふいて、お母さん豚のお腹から、ぴよこ、ぴよこ飛び出し、四方八方へ駈けだしました。母豚が青大将を、尻尾まで、喰べてしまふまでには、子豚が、ピー、ピー、何匹産れたか、この豚飼の男には、おぼえがない程、たくさんに産れました。(昭4・5愛国婦人)
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白い鰈の話
しつきりなしに海底に地震のある国がありました、そのために海はいつも濁つてゐて底もみえず、漁師達はただ釣針を投げこんで手応へのあるとき糸を引きあげて釣つてゐる有様でした。村に一人の利巧ぶつた漁師が住んでゐて、彼は漁から帰つてきてこんなことを話しました。
『近頃、わしの釣る鰈
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