に生れた、若い雌鶏などは、ころげまはつて笑ひました。
『わたし、こんなにお可笑しい目にあつたのは生れて始めてだわ』
といひました。
すると傍から『フン』と鼻先で、意地悪さうに、
『青つ葉が転げ落ちたくらいで、そんなにお可笑しいものかね――』
といふものがをりました、それはこの鶏たちの家族の中で、いつも意地悪を言つて嫌はれものの、一羽の雌鶏でした、この雌鶏は、もうたいへん歳をとつて、からだはヨボヨボでしたが、口は若い者に負けませんでした、そしてみんなと散歩にでても、自分から地を掘つたり、草の根を掻きわけたりして、餌を探すやうなことはなく、他の鶏の発見した餌を、横合からやつてきて奪ひとりました、また自分で餌をみつけると、羽をひろげて隠しましたので、鶏たちは誰も相手にしませんでした。
『お婆さんも、もう餌を拾ふのが、面倒になつたのだね』
と或る日、雄鶏がいつたことがありました。
『ああ、さうだよ、わしももうながいこと生きれないよ』
と婆さん鶏は、しんみりとした声でいひましたので、雄鶏もちよつと可哀さうに思ひました、しかしそのくせ婆さん鶏は、長生《ながいき》をいたしました。
百姓の娘さんは、青菜を洗つてしまひ、これを小さな手車にのせて、街の方に行きました、鶏たちはコボレた菜を仲善く拾つて喰べました、
『みんな見給へ、あんな高い処を鴉が飛んでゐる』
雄鶏がいひました、一同は空を仰ぎました。[#底本にはない「。」を補った]なるほど、鴉が一羽高い高い空に、ゆつくりと舞つてゐました、その鴉は病気のやうでもありました、なぜと言つて、それほどに鴉の舞つてゐるところは高かつたからでした。
『病気でなければ、あの鴉が気が狂つたのだらうね』
と誰やらがいひました、すると空の鴉は、急にくるくると風車のやうに、空中でもんどりを打ち、あれ、あれ、と鶏たちが声をあげて騒ぐ間もなしに、一直線に鴉は落ちました。
『たしかに落ちたね、何処へ落ちたらう、森の向うだらうか、それとも森の中へだらうか』
雄鶏はかなしさうな顔をしました、雌鶏たちも、みな不幸な鴉のために同情をして、暗い悲しい顔をして、森の方をながめました。
『鴉がおつこちた位で、そんなに悲しいかね』
と不意にいつたものがありました、それは意地悪の婆さん鶏《どり》でした。
雄鶏は、ちよつと首の毛を逆立てて、婆さん鶏を尻眼にかけながら
『さあ、さあ、みんな鶏小屋に帰りませう。』
といひ、先頭に立つて、ぷんぷん怒つて、一同を連れて小屋の方へ歩るきました。
意地悪の婆さん鶏は、一同の列の、いちばん後に、よぼよぼと尾行《つい》てきました。
小屋に入ると鶏たちは、それぞれ練餌を喰べたり、砂を浴びたり、羽の手入れをしたり、勝手なことをいたしました。
『雄鶏さん、大変ですよ、あの意地悪婆さんが、飛[#「飛」に「ママ」の注記]んでもないものを喰べて、』
一羽の鶏が、雄鶏のところに、あわてて注進にきました。
最初婆さん鶏が、鶏小屋の隅の暗いところで、ひとりで白い丸い物を、むしや、むしや、喰べてゐました、それをみつけたのは若い雌鶏達でした、そして婆さん鶏は、自分だけで喰べようと頬張つて、眼を白黒させました、そこへ若い雌鶏が、飛びついてその白い物を奪ひ取りました、それからが、小屋の中は、上を下への大騒ぎとなつて、この白い物の奪ひ合が始まつたのでした。
雄鶏もやつてきて見て驚ろきました、それは奪ひ合つてゐる白い物は、鶏卵《たまご》の殻であつたからです。
小屋の騒ぎに、鶏飼人がやつてきました。
『やあ、これは大変だ、卵を喰べる悪い癖がついたぞ』
鶏飼人は、鶏たちに卵を食はせまいとして、追つかけ廻し、以前にもました大騒ぎとなり、鶏たちは埃を舞ひあげて、柵の中を逃げ廻りました。
その騒ぎもしづまりました、夕暮がきて、鶏たちの眼も、だんだんぼんやりと見えなくなつてきました。
雄鶏は一家族の数をあらためました、十三羽ちやんと居て、一羽もはぐれてをりません、
『みんな、これから眠りませう、その前にちよつとお話をいたします。今日は神様も、我々家族をお憎みになつて、おいでだらうと思ひます、それといふのは、昼の騒ぎです、もつとも近頃は鶏飼人の不親切で、さつぱり瀬戸物を砕いたのを、我々にくれません、しかし瀬戸物がなかつたなら、私達は小砂利を拾つて喰べればよいのです、けふのやうに、鶏のくせに卵を喰べるやうなことがないやうに、私達は卵を産むのが仕事ですから』
かう一同に言ひました、若い雌鶏達は、こころから悪いことをしたと考へました。
婆さん鶏は、雄鶏をじろりと見て
『いちばん先に、卵を割つたのは、わしだよ。若い者に罪はないさ。鶏が卵を食べられないといふ規則はないからね』
と憎々しくいひました。
雄鶏は、何段にもなつてゐる棲架《とまりぎ》の、いちばん上の段に飛びあがつて元気な声で
『さあ、みんな棲架にとまつたか、子供たちは片脚で止まる練習もしなければ駄目だよ、片脚で立つて片脚を休ませ、かはるがはる疲れたらやるのだよ、卵箱の中に入つて寝るのは、弱虫か、病人だよ、元気なものは、いちばん高い棲架に止まるんだよ。』
とこまごまと注意をしました、鶏たちは、みな素直に雄鶏のいふやうに、なるべく高い横木をえらんで止まり、仲善く肩をすりあはしました。
雄鶏は、高いところから、婆さん鶏に声をかけました。
『婆さん、地べたにうづくまつて居るのは体によくないよ』
婆さん鶏は、暗い片隅の湿つた処に、汚れた羽に頭を突込んでまるくなつて眠つてゐたので、かう親切にいひました。
『わしは何処でもよいよ、元気のよいものはせいぜい高い棲架にとまるがよいさ、わしは片足をあげて眠る元気もないんだからね』
と婆さん鶏はいひました、そこで雄鶏は、地面に寝ては、夜のしめりで体を悪るくすることもあるし、殊に悪いイタチなどが、やつてくることがあるから、棲架にあがりたくなかつたら、せめて糞受板の上へでも、あがつて眠るやうにといひました。
『わしの好き勝手にさして眠らしておくれ、糞受板にあがる元気も、わしにはないんだからね、イタチに喰はれてしまへば本望だよ。』
と、なかなか強情で、棲架に止まらうとはしませんでした。
婆さん鶏は、地べたの上に、他の鶏たちは棲架の上に、棲架の上の鶏たちは、自分の羽に首をいれたり、また隣の鶏の脇の下に、首をいれさして貰つたりして、仲善くそして静かに眠りにをちいりました。
雄鶏は、高い棲架の上から下を見て、みなと一羽離れて、惨めな容子で寝てゐる、強情な婆さん鶏を憎むよりも、なにか哀れな同情の気持になりました。
*
夜が明けました、殊にからりと晴れた好天気で、鶏飼人が戸を開くと、ギラギラするやうな日光が、小屋の中にをどりこみました。
鶏たちは、大喜びで、はしやぎ、柵の中を走りまはつて、わずかの時間まるで気狂ひのやうに嬉しがつて、餌争ひをしました。
雄鶏は、吃驚りして、声をあげました。
『おい、お前たちは、何をそんなに奪ひ合つてはしやいでゐるんだ、それはお婆さんの脚ではないか』
鶏たちは、今更のやうにびつくりして、くはへてゐたものを放しました、雄鶏はそこであたりを見廻しましたが、お婆さん鶏の姿は、そのあたりには見あたりませんでした。(自筆原稿)
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※入力者補注:本文中、差別語に分類される用語が出てくるが、作者の意図と時代背景とを考慮し、そのままとした。
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底本:「新版・小熊秀雄全集第2巻」創樹社
1990(平成2)年12月15日第1刷
入力:浜野智
校正:八巻美恵
1999年3月5日公開
1999年8月28日修正
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