をみてさう思つた
あいつらは全く新しいし
さうだ、人間はまだ全く古びてはゐなかつた筈だ、と
人間も自然も新しいのだ
憎悪、愛、それらに古い被布を
着せるのはまだ早い
小松の伐りだされる遠い日のことを思ふ
我々も時代から
全く新しい憎悪と、愛とを発明しよう
それを伐り出さなければならない
強く憎み、強く愛する仕事
しかもそれは新しく
発明されたものであれば無限に展開されるだらう。


寓話詩
  ――新ベニスの商人――

米屋は言つた
 ―一升だけなら売りませう
しかし、と彼は舌なめずりして
 ―一升の代金のほかに
 貴方のモモの肉も一片下さい
そこで聖人は米を受け取つて
 ―よろしい、肉をあげませう
 しかしせめてこの米を炊いて
 喰ふ間だけ御猶予ください
聖人は米の袋を抱へて帰つて行つた

いくら待つても聖人が
モモの肉を渡しに来ないので
米屋は聖人の家に行つてみた
すると聖人は戸口に張紙して
[#ここから1字下げ]
「米を炊かうとしたら
炭がなかつたので
これから炭買ひに
諸国行脚にでかけます―」
[#ここで字下げ終わり]


ある小説家に与ふ

君は真剣に文学を綴つてゐる
つまり真剣に嘘をつくるために書いてゐる
君は――太陽がすぐ
自分の手の中に
堕ちてきさうな自信をもつてゐる
君は――現実をたたきまはる
埃りとゴミとを追ひ出すために
街中、自分の寝床を引きまはすやうに
醜態をつくしながら
ながい、ながい、情痴の物語りを引き廻す
お嬢さんがゐなくなつたら
君の小説の主人公がゐなくなる
君には未亡人が是非必要だ
蒸風呂にひたつたやうな
心理の湯気にとりかこまれて
酔ふことのできる身分で
ことさらに現実を
復[#「復」に「ママ」の注記]雑にして享楽してゐる
君の読者は
頭が単純で
行為は復[#「復」に「ママ」の注記]雑で
いつも夢の間にも
儲けることを仕組んでゐる階級へ
寝転んで読ませるやうな
甚だ厳粛でない
通俗物語を提供してゐる


ジイドと洗濯婆

戦争が始まつた
ドカン、パチパチと
砲弾は姿格好が良い
上手に腰をひねつて
フランスの娼婦が
ドイツの男共のところまで
素つ飛んでゆく
そこへイギリスが割りこむ
三角関係はもつとも
社会秩序を乱すものに違ひない、

西洋人が完全な肉食動物であつたら
こんなに争ひはしなかつたらう
野獣の世界にも謙譲の心はあらう
彼等はそれが半分で
半分肉食動物だ
だから時々相手を喰つて見たくなるのだらう
ヨーロッパの知識人
良心的人物はどうしたのか
彼等は歯が全く磨滅してゐるやうに
磨滅した精神で叫びつづけてきた
砲弾の叫びがそれを打消した
ジイドの精神も
下劣な洗濯婆の
おしやべりよりも
もつと不用なものになつた。


泥酔歌

わたしは故郷では
よく何処へでもぶつ倒れたものだ、
草の上へ、
河原の石の上へ、
丘の上へ、
何処も清潔であつた、
冬は白い雪の上へ倒れた
雪に顔を押しつけて
雪マスクをつくつて遊んだ、
いま都会ではバネのはずれた
カフェーの安楽椅子の上に倒れてゐる
青白い顔をした
子宮後屈奴が
ときどき俺が死んでゐないかと
顔をのぞきにやつてくる
曾つて拡がつた心も
すつかり今は縮まつて
いまでは俺の心は
マッチ箱の中に
入つてしまふほどに小さい。
暗い隅から
レコードが歌ひだした
不安なキシリ声から始まつた
哀愁たつぷりのジャズだ
女に歌の題をたずねると
『夢去りぬ――』といふ、
俺はそれをきくと
酔ひが静かに醒めてきた
ほんとうだ――夢は去つたのだ、
とつぜん俺は機嫌がよくなつた、
よろよろと扉をひらいて戸外にでた、
古ぼけた痲痺を追つてゐる
多数の人々の姿を
俺はぼんやりと瞳孔の中に映しだした
夢去りぬ――、俺は蚊の鳴くやうな
小さな声で人々にむかつて呟やいた。


青年歌

青年よ。
屈托のない高いびき
深い眠り――、
眠りの間にも
休息の間にも
生長する君の肉体、
強く思索することを
訓練してゐる学生。
行為はいつも
これらの強い意志の上に立つ
真実に対して
敏感な心は
青年の中だけ
滅びていない。
青春以外のものは
すべて灰色だ。


刺身

海の中を大鯛が泳いでおりました
悠々と平和に
すると遠くでキラリと何かが走りました
大鯛は「シマッタ」悪い奴に
逢つてしまつたわいと
逃げようとしました
向うから泳いできたのは
刺身庖刀でした
庖刀はピタリと正眼に
刃の先を大鯛の鼻にくつつけて
大鯛と刺身庖刀とは
ながい間睨めつこをしてをりました
ハッと思ふ間に
刺身庖刀は大鯛の
左り片身をそいでしまひました
大鯛はびつくりして命からがら逃げました
刺身庖刀は意気揚々と
大鯛の半身をひつさげて泳いでゐました

そこへ鮪が泳いできました
鮪は図体の大きな割に臆病者で
刺身庖刀の
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