雷針のあたりに光と音との突然の衝撃が、冷めたい青い光を投げ下ろした。
通行の女達はキャッと叫んで、傍らの男にしがみつく。私も傍の女の人に、しがみつかれて、天の鳴物が私に、思ひがけない幸福を恵んでくれた。
私は、カミナリの激しさに命が惜しくてならない――といつたあわてぶりで逃げまはる群衆をみて、思はず或る一つのことを思ひ出して微笑が湧く。
ロシアの詩人レルモントフが夜、雷の激しさに感動して、扉をひきあけて戸外にとびだし、いきなり電光を手掴みにしようとしたことを。
それは少しも奇矯な行為ではない。詩人の感情がいかに高い衝動のために、いつも用意されてゐるかを示すものだ。
しかもレルモントフは、自由を愛し、それを求める態度は、手の中にイナビカリを捉へようとした激情に似たものをもつて、短かな一生をたたかつた。
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小説家は滑稽なものだ

詩人は公然と語る喜びをもつ
その喜びをわかつために歌ふ、
青褪めた顔を
布切れにくるんで
様子ぶつた日本人が歩いてゐるのは
私にとつては滑稽に見えるだけだ、
市民は忙がしいので
スタイリストになるひまがない
文士ばかりがシャラしやらと
平凡なことを難しさうに
言ふために
どこかに向つて歩いてゆく、
長々しい小説
そんなものを読む義務を
押しつけるのはファシストのやることだ、
真理は君の小説の何処にあるのだ、
手探りで書いた小説を
眼あきに読ませようとしてゐる
なんと愚劣な形式の長さよ、
私は小説を読む位なら
鶏卵を転がして眺めてゐるはうが
はるかに楽しく真理を教へられる。


勝つたのさ

私といふ成り上り者のために
上品な奴等が路をひらいたのさ
なんて汚ならしい詩を書く
私は名誉なことだ
千年も黙殺してゐたらいゝのだ
ただ私は品よく構へた奴等の
頭へ千杯も汚ならしい詩を
マヨネーズソースをぶちかけてやる
さあ騒げ、騒げ、同志よ、
わかり易い言葉で
痛はしい国民のために祷るのだ、

私のやうに詩でないやうな
詩をつくることに成功しろ、
なんてチンマリと頁の空白に
収まりかへつた彼等のもの思ひだらう、
太陽が黄色く見えると――歌ふ
もつともだ、お前の眼玉は
生きた眼玉ではない、
煮られた魚のやうな眼でみるから、
そしてお前の精神は日毎に
草のやうに枯れてゆく
私はイデオロギーといふ
ホルモン料理を喰つてゐるから
永遠不
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