パンチヂリの音も
昔のやうに楽しさうでない
丘の上に月がでても
昔のやうに若者たちは
月の下をさまよひ歩かない、
哀号――、悪魔に喰はれてゐるのだ、
老婆は聴いた
ボリボリと音をたてて悪魔が
山の樹を喰つてしまつたのを、
娘は河へ水を汲みに行つて溺れ死ぬ
若い者は飲んだくれたり
博打《ばくち》をうつたり
地主さまに楯突いたり、
農民組合とやらをつくつたり
村をとびだしたり
若い者は何かと言へば
すぐ村の半鐘をうちたがる、
トクタラ、トクタラ、トクタラ、
老婆《ロツパ》が精魂こめて
パンチヂリで白く新しく
晒した朝鮮服も
若いものは着たがらない
麦藁帽子をかぶつたり
洋服をきたり、ポマードをつけたり
そして老婆達にまで
昨日、面長さまから呼び出しがあつた
面事務所にぞくぞくと村の衆は
集つてきた、
高いところから
面長は村の衆に吐[#「吐」に「ママ」の注記]鳴る、
――世の中は、日進月歩ぢや、
  文明文化の今日《こんにち》は
  第一に規則をまもるべし
  納税の義務
  つまりは年貢はかならず収むべし
  それから、特に
  婆共は、よつく聞け
  糞たれ頑固どもは
  夜つぴて
  トクタラトクタラ
  パンチヂリをやつてゐる
  やかましうてたまらん、
  第一にあのトクタラは
  牛のために良くない、
  牛の神経にさはるから
  乳の出が悪うなるわい、
  第二に服装改善の
  主旨の下からして
  白い朝鮮服は明日から
  一切着ることならん、
  黒い服にしろ
  黒い服はよごれがつかぬ、
  したがつて洗濯をする必要がない
  トクタラトクタラの
  洗濯婆あどもは
  パンチヂリをやめて
  明日から縄をなへ
  トクタラ、トクタラと
  けしからん奴ぢあ――、
面長はぶるると体をふるはせて吐[#「吐」に「ママ」の注記]鳴る、
若いものは去つてゆく
ただ老人たちは何時までもその場を去らない、
老人たちは鷺のやうに体を折りまげ
なべ鶴のやうに地面にへたばり
声をかぎりに
哀号をさけぶ、
――哀号、面長さま、この老い先
  短かい年寄に
  難題といふものだ
  いまさら白い朝鮮服を
  哀号
  よして色服を着ろとおつしやるが
  そんなら婆を殺して下されや
  哀号――、
  神さまからのお授り物の白衣を
  どうして脱がれませう、
  哀号――
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