瓦斯は吹き消され、
巨大な獣の舌のやうな
赤い緞帳がガランとした、
小屋の中に垂れさがつてゐる、
楽屋で私はオスカア・ワイルドの服をぬぎすてて、
外出しようと木戸口へ廻ると、
そこの暗がりに一人の若い女が立つてゐた、
あゝ、それは私が生命がけの綱の上で
娘に投げたかりそめの恋のながしめに、
娘は私を待つてゐてくれた
私は娘を抱いて熱い熱い接吻した、
おゝ、現実とはこのやうに素晴らしいものか



移民通信


車中から(第一信)

日本のルンペン諸君に向つて
移民団第一信をぶつ放す
残飯の栄養カロリーについて
橋の下で議論した、親愛なる友よ。
とにかく無性に、おれは今嬉しいんだ、
よく似合つた、おれのカーキ服を、うらやめ、うらやめ、
てめい、ロクでなし、シラミの倉庫、
歯を磨かねい階級、国家の徒食者。
神田、日本橋、浅草の町裏の、うろつき者共よ。
おれのやうに上着から、シャツ、股引、
褌まで新しい奴に着換へるなんて
てめい等は一生かかつてもできまい、
今頃は、お前は相変らずオンボロ、オンボロ、
長いボロ着のお引きずり
ワカメの行列だ、
舗道に唾をベッとはいて
ぶつぶつ呟やいてゐるだらう。
おれたち移民四十八名は
もう間もなく、下関に着く
引率者は良い男だ、
女のやうに優しく、
おれたちに平等で、親切で、良い監督だ、
育ちがいゝから鷹揚で
煙草は何時も気前よくくれる、
おれは、てめいを恨んだよ、
てめいが人間の皮かぶつてゐるんなら、
友達つきあひで
東京駅へ万歳の一つ位言ひに
来てもいゝと思つたもんだ、
見送りにも来ねい義理知らずと
おれは、一時はカッと腹が立つたが
考へてみれば
お前の、その格好ぢや
改札口は通すまいからな、
お前の汚ない格好では
俺は肩身が狭いからな、
見送りに来てくれなくて助かつたよ、
俺は今ぢや、もうルンペンぢやない
お前と俺とは人間のケタがちがつてしまつた、
てめいとは、もう友達でない、
これを縁切りの手紙と思へ
満洲へ着いたら、片手に銃、
片手に鍬、種をまいたり匪賊を追つ払つたり、
おゝ、急がしい、急がしいことだらう、
これで、てめいに手紙は出さない。


海峡から(第二信)

親愛なる日本のルンペン諸君、
俺にもう一ぺんだけ手紙を書かしてくれよ、
おれは相変らずヨダレがでてきて
しやうがないんだ、
ぬぐつても、ぬぐつても、
ダラダラ垂れや
前へ 次へ
全34ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング