従来の詩の形式、詩の概念に、何かしら新しいプラスを私の詩から感じられたことと信じる、それは他でもない私はその詩人としての力量と可能な力をもつて、これまでの日本の詩の形式へ破壊作業を行ひつづけてこれまで来たその幾分の収穫である。真に民衆の言葉としての『詩』を成り立てなければならないといふ私の詩の事業は、果敢ないものであるが、私の本能がそれを今後も持続させるだらう。
或る者が『小熊は偉大な自然人的間抜け者である』といつた言葉が私をいちばん納得させた評言であつた、私は民衆の偉大な間抜けものゝ心理を体験したと思つてゐる、民衆はいま最大の狂躁と、底知れぬ沈欝と現実の底なる尽きることのない哄笑をもつて、生活してゐる、一見愚鈍であり、神経の鈍磨を思はせる一九三五年代の民衆の意志を代弁したい。
そしてこの一見間抜けな日本の憂愁時代に、いかに真理の透徹性と純潔性を貫らぬかせたらよいか、私は今後共そのことに就いて民衆とともに悩むであらう。
一九三五年五月
小熊秀雄
I
蹄鉄屋の歌
泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄《ひづめ》から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷
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