姿をみせなければ、
小さなフワ[#「ワ」に「ママ」の注記]ン達が承知しないだらうから。
君は勝負を超越してゐる、
つまり真個《ほんと》うの相撲道に入つたわけだ。


この世に静かな林などはない

私は留置所から出てきた
私は目に見えてグングンと痩せていつた
私は部屋に寝床を敷いた
そしてそこへ突んのめされたまゝの姿勢で死んでゐる人間のやうに
じつと身動きもせず数日間眠つた
しかし気持は少しも静まらなかつた
おだやかにはなれなかつた、
早く逢ひたい友達がたくさんゐる、
留置所の中のこと
読みかけの本
窓へはげしい日光の反射、
私は焦々して寝床を離れ
郊外の林の中へでかけていつた、

林には名も知れない小鳥が囀つてゐた
――おしやべり奴が、
くさむらには虫がゐた、
――目に見えないやうな小さな虫が、
そこで私は林の中に立つて
林の樹々にむかつてひとりごとした
――林よ、自然よ、
  私はお前の傍へ
  どんなに来たかつただらう、
  闘ひから暫し離れて
  しづかなお前のふところに
  抱かれたかつたのだよ、
  林よ、
  私は静かなところが大好きで
  お前の処にきたのだ
  お前は樹の葉をただの一枚も
  落さないほどに
  じつとしてゐて
  静けさを私に与へてくれ
その時風は轟々と鳴りだし
風は林を吹きぬけた
さまざまの微妙な物音が
いりみだれて騒がしくなつた、
そして林の物音は私に斯ういつた
――君のいふやうな
  そんな静かな林などは
  この世におそらくないだらう――。

私は反省した
闘争の激化のなかに
なぜ私は林の静けさに脱れて
きたかつたのだらうか、
あゝ、若し私の求めるやうな
静かなところを探すのであれば
――その場合は死だらう、
林の中には首を吊るのに
手頃な枝がたくさんあつた、
また頭をうちつけるに
もつてこいの堅い樹があつた、
おそろしい精神の怯懦よ、
たゝかひの疲れ、
肉体の虚弱、
私の非プロレタリア的な一切のもの、
そいつが私を林の中まで引つぱつてきた
――死は最大の静かなところだらう、

梢はざわめき、
風は樹々の間をふきぬけ、
遠く街の騒音がきこえてくる
こゝにも何の平静さもない
目にふれるところに
小さな生き物がゐた、
この昆虫たちはしきりに
何物かの目的にむかつて動いてゐた、
みあげればそこには、
空があり雲があつた、
風は葉を
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