な海であらう。

夕方になると
私は足を濡らしながら
貝殻を拾つてあそぶ、
乾からびた魚や、
時にはヨーロッパの船具や
色の変つた砂粒など、
波の上には新聞紙が漂つてゐることもある。

殊によつたら日本は
磁力をもつてゐるのではないかと思ふ。
ヨーロッパの友よ、
君等の国から来た渡り鳥が
唯一の休息所である日本に降りた
そして美しい一本の脱毛を私の紀念に
やがてその脚裏には
日本の砂を密着させて出発した。
幾日目かに君達の庭に降り立つだらう。

入江の美しいのは
波の交流の激しさをかたり、
松の堅固なのは風が強いからだ、
友よ、ヨーロッパの友。
日本の不等な称讃を止めよ。
韻律の日本の実体は
海の潮騒のやうな
厳粛沈痛なものと知つてくれ。


祖先の下山

やさしい豪族は
太刀を担ぎながら山を降りて来た。
快活に、傍の道連れと語り合ひながら、
霧はふかく、雲は爛れてゐた。
其処で『日本の不思議な生活』の
深い根幹を地に植ゑた。

依然として、日本の奇怪は今でも存在し
精神の浮橋は、世界の橋に通じてゐる。
昏迷の中に驚嘆の花を咲かせよ、
幾度も私達の住居を再建しよう、
新しい土地へ下山するのだ、
新しい土地へ。
祖先のやうに明るく談笑しながら。

山の霊気は私のマントをくるみ
その光りの花粉をもつて
夜光虫のやうに飾る、
世界の思想と交媒せよ。

樵夫は高い樹の傘下にある、
轟然と伐採する
樹の枝は爛れた空を掃く
あらゆる日本の神事は
我等の手をもつて主宰せよ。


種族の花

お前の精神は肉体は
ひさしく落葉松《からまつ》の揺籃に眠り
嵐の氷片を餌として暮した、

松の細根は泥土に埋り
あたりは海のやうな苔土帯《つんどら》
湿潤の火は燃える
山猫のやうに痩せてゆく
季節の毒気に萎んでゆく種族の花、

愛奴 愛奴
今日も高巓のななかまど[#「ななかまど」に傍点]の樹に腰かけて
肺患の呼吸に鬚をふるはす。


都会の饑餓

雑踏よ、都会の雑踏よ。
私は終日美しい痙攣のために身悶へし
何処といふあてもなく、
ただ足にまかせて歩み、疲労し、
到る処の街角に休息し、
呆然として、車道、人道いりみだれた、
埃りで組み立てられた十字路に、
まるで獣らしい憎しみをもつて凝視する。

都会よ、私はお前の尻尾を捕へ
お前の尻尾と共に私は転げ廻つてゐるのか。
私の帽子の上の騒音、
ああ、
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