に放された馬
ああ それは私の無神の馬だ
毛皮は疲労して醜く密生し
光のない草地に平気で立つてゐる。


日没の樹

柔らかい黄金樹木は
いつぺんに音も無く倒れかける
人々は埃の中で蘇生した
影は重なり合ひ無数に馳けだす。

山火事のやうに
輝やくなかに立つてゐるのは
新らしい病気を憬れてゐる
労役に疲れてゐる家畜の眼だ。

火は燃え
街の黒い多角形の空いちめん
死滅の揺籃はゆらぎ
そして大きな児供は夢を見始める。


結晶されたもの

慾情
それは私の樹の実だ
波と押し寄せる美しいものだ
私の馬に与へられた積荷だ。

逃れようとする愚と
廻り路をしようとする
空々しい努力を廃せ
私の四肢は無限な土の上の児供
絶えず動きよく笑ふ者よ。

地上に棲家ももてない神は
白眼をつかつて呼びかける
私は結晶された血
安易な眠りを欲しない。


雪の夕餉

背後から紫色にまた
いくつもの紅の輪を重ねた風が
小児のやうに馳ける。

黄昏どきの雪の街
ほのぼのと魚の片腹身を焼く
夕餉の匂ひが煙つて来た。

私の病患は実に淑やかに
北方の白い沼地に沈むやうだ
失はれてゆく色濃い雪のやうに
厚い毛皮の重たさに張りつけられ。

夜の暗がりは真先に私を射て
激しい青ざめた獣の
枯れた樹間の寝床は
淋しい霜に閉ぢこめられる


窓をまもる男

その高窓は何事のために
まるみを帯た声音で終日鳴るのか
その窓が鳴れば
その窓の傍に立つた
背の高い男も晴ればれとしてくる
男は薄い頬とたくましい咽喉仏をもつた
守護神のやうにもきらめいて
緑色に燃える高窓をまもり暮らす。


掌に生へた草

せんさいな風に生きて
ふしぎに頬を打たれることもなく
私の占める座席は
針程のわづかな場所であるのか。

だがなんといふ青草の
精気はつらつとしてゐることか
私は草の食事をしてゐるのを見たことがないのに
私の住ま居の一隅に
いつのまにか歩いてきてゐるのだ

胃の腑のないものが
どうしてあんなに健康であらう。
私はいま掌の中に
草の生へるのを感じて慄然となる
まつたく彼は私の頭の上にでも、
肩の上にでも生へかねないのだ。


初雪の朝に

羞恥な女が谷間に下りたつたやうに
一夜にして私の眼界を洗清めた
ものしづかな白い世界よ

私はこの冷えた冬の期[#「期」に「ママ」の注記]節を
雷鳴のやんだあとの
深淵の傍らにゐ
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