慾はぎあまんに盛られた
冷酒のやうに
しみじみと視つめて楽しむ観賞物心臓病者の
まつ青なよつぱらひである
   ◇
私は冒[#「冒」に「ママ」の注記]険な情慾が大好きだ
いつかも
あるき出す情慾の群にまぢつて
人ごみの中で
若い女の懐中の
財布をねらつたが……
   ◇
すつた財布の中はからつぽで
私と女は笑つて別れた


煙草の感情手品

女よ
私のこれからはじめる
感情手品を
じつと遠くから見物してゐ給へ
これを貴女への
返事にかへませう
   ×
さあ…これは一本の煙草です
つぎに口にくわへて
その煙草に
情熱のマッチを
摺つたのは貴女なのです
   ×
たしかに貴女は火をつけた
種も仕掛けもない奇術でした
   ×
まづ私の太夫さんは
ゆつくりと煙草を吸つて
ゆつくりと鼻から煙を出して
もう、もうと靄のやうに
たちこめる、けむりの中で
にやにやと
笑ひながら吸つたことか
ちどんな貴女の感づかない
それはあざやかな手際です
   ×
女よ
貴女は煙草の吸ひ殻を
拾つてお帰りなさい


春情――三人集――

春だ四月だ……
煙草のけむり輪にふいて
橋のたもとで空をながめた
   ×
濃霧《がす》の街を
げらげら笑つて直白な
女が通つた……春だ四月だ


炭坑夫と月――夕張印象――

ああ 私の亀裂をまさぐる斜坑の上の地面で
たくさんの青い松の眼球を拾つた夕暮れです
まぐねしゆうむ[#「まぐねしゆうむ」に傍点]とだいなまいと[#「だいなまいと」に傍点]を
喰《くら》つた亭主の股引が
ほんのり桜のやうに干されてゐた日没ころ
そろそろと月が昇つてしまつた
  …………
淫売屋《ごけや》の小格子から
空をながめる私の炭坑夫
ちらばつてしまつた紫外線を
いくら喰つても
肺患のなほらない月である
  …………
とろつこ
とろつことろつこ
明日はまた運搬の作業である


愛奴憐愍

ああ見れば見るほど
悲しい歩行であつたか
砂地のすばらしく巨大な足跡、

河原で銀斑魚《やまべ》を乾し
岩魚《いわな》の奇怪な赤腹をもて遊び
猿蟹を石に砕いて嬉戯した時代からの
部落《こたん》に満ちあふれた誇も消滅した、
私の憐愍はお前の足跡に
かんぞ[#「かんぞ」に傍点]の花に降り注ぐ雨のやうだ

ああ年々《ねんねん》お前の仲の善い鮭《あきあじ》は死産し
河原の砂の巨大な赤児
ぼつこ[#「ぼつこ
前へ 次へ
全24ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング