態」に傍点]のままなのである。それゆえ初めから余の同意しない事を、余のなすべき事としてしまった。これは余がなすことを望まない事であって、サー・デビーと一緒に旅行している以上はなさないわけには行かないことなのだ。しかも実際はというと、かかる用は少ない[#「かかる用は少ない」に傍点]。それにサー・デビーは昔から自分の事は自分でする習慣がついているので、僕のなすべき用はほとんどない。また余がそれをするのを好まぬことも、余がなすべき務と思っておらぬことも、知りぬいているから、不快と思うような事は余にさせない様に気をつけてくれる[#「させない様に気をつけてくれる」に傍点]。しかしデビー夫人の方は、そういう人ではない、自分の権威を振りまわすことを好み、余を圧服せんとするので、時々余と争になること[#「争になること」に傍点]がある。」
「しかしサー・デビーは、その土地で女中を雇うことをつとめ、これが夫人の御用[#「夫人の御用」に傍点]をする様になったので、余はいくぶんか不快でなくなった。」
と書いてある。
 かような風習は欧洲と日本とでは大いに違うているので、少し註解[#「註解」に傍点]を附して置く。欧洲では、下女を雇っても、初めから定めた仕事の外は、主人も命じないし、命じてもしない。夜の八時には用をしまうことになっていると、たとい客が来ておろうと、そんな事にはかまわない。八時になれば、さっさと用をやめて、自分の室に帰るなり、私用で外出するなりする。特別の場合で、下女が承知すれば用をさせるが、そのときは特別の手当をやらねばならぬ。デビーはファラデーに取っては恩人[#「恩人」に傍点]であるから、日本流にすれば、少々は嫌やな事も[#「少々は嫌やな事も」に傍点]なしてよさそうに思われるが、そうは行かない。この点はファラデーのいう所に理がある。しかし他方で、ファラデーは権力に抑えられることを非常に嫌った人で、また決して穏かな怒りぽくない人では無かったのである[#「穏かな怒りぽくない人では無かったのである」に傍点]。

     一七 デ・ラ・リーブ

 そのうちに、ファラデーに同情する人も出来て来た。一八一四年七月から九月中旬までゼネバに滞在していたが、デ・ラ・リーブはデビーの名声に眩《くら》まさるることなく、ファラデーの真価[#「真価」に傍点]を認め出した。その動機は、デビーが狩猟を好むので、リーブも一緒に行ったが、リーブは自分の銃は自分で装填し、デビーの鉄砲にはファラデーが装填する。こんな事で、リーブとファラデーとは談話する機会を得、リーブはファラデーが下僕ではなくて、実験の助手[#「実験の助手」に傍点]であることも知ったし、またこの助手が中々偉い人間であることも知った。それでほとんどデビーに次ぐの尊敬を払いはじめた。ある日、リーブの所で正餐をデビー夫妻に饗《もてな》したことがあった。その時ファラデーをも陪席[#「陪席」に傍点]させると言い出した。しかしデビーは下僕の仕事もしているのだからというて断った。しかしリーブは再三申し出して、とにかく別室でファラデーを饗応《きょうおう》することにした。
 ファラデーはリーブを徳としたのか、その交際はリーブの子の代までも続き、実に五十年の長[#「五十年の長」に傍点]きに亘《わた》った。

     一八 旅行のつづき

 再び旅行の事に戻ろう。デビーはゼネバを立って、北方ローザン、ベルン、ツーリヒに出で、バーデンを過ぎてミュンヘンに行き、ドイツの都会を巡遊して、チロールを過ぎり、南下してピエトラ・マラの近くで、土地より騰《のぼ》る燃ゆるガスを集め[#「ガスを集め」に傍点]、パヅアに一日、ヴェニスに三日を費し、ボログナを通ってフローレンスに行き、ここに止まって前に集めたガスを分析し[#「分析し」に傍点]、十一月の初めには再びローマに戻って来た。
 ファラデーは一・二度母親にも妹にも手紙[#「手紙」に傍点]を送り、また王立協会の前途を案じてはアボットに手紙を送り、「もし事変の起るようなことでもあったら、そこに置いてある自分の書籍を忘れずに取り出してくれ。これらの書籍は旧に倍しても珍重するから」と書いてやった。また自分の属する教会の長老には寺院のお祭りや謝肉祭の光景、コロシウムの廃跡等をくわしく書きおくり、若い友人にはフランス語の学び方を述べた手紙を送ったりした。
 この頃のファラデーの日記を見ると、謝肉祭[#「謝肉祭」に傍点]の事がたくさんかいてある。その馬鹿騒ぎが非常に気に入ったらしく、昼はコルソにて競馬を見、夕には仮面舞踏会に四回までも出かけ、しかも最後の時には、女の寝巻に鳥打帽[#「女の寝巻に鳥打帽」に傍点]という扮装で押し出した。
 サー・デビーは、それからギリシャ、トルコの方面までも旅行したい希望で
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