に、織機者のゐない村落はほとんどない。太古より、印度の村落には、村大工村の靴屋、村の鍛冶などと共に、村の農夫と織機者がゐた。ところが、農夫は甚だしい貧困に陷り、織機者は貧民階級を得意とするだけである。彼等に印度で紡いだ綿絲を供給するならば吾々に必要なだけの織物を得ることが出來るのだ。當分の間は、それは粗末なものであるかも知れぬが、不斷の努力によつて織機者はきれいな織物を織ることを得るやうになり、從つて、わが織機者の地位を向上せしめることが出來るであらう。そして、更に一歩を進むるならば、吾々は途中に横はる種々の國難を突破することが出來るのだ。吾々は容易に女や子供に紡織を教へることが出來るのであつて、かうして吾々の家庭で織つた着物ほど純潔なものはほかでは得難いのだ。私は自分の經驗から云ふが、この方法によれば多くの國難を除去し、多くの不必要な要求がなくなり、吾々の生活は歡喜と美の合唱となるであらう。私は常に耳許で聖なる聲がかう囁くのを聞く、即ち印度では嘗つて實際にさういふ生活があつたので、さういふ生活は閑散な詩人の夢想だと云ふ者があつても、構ふことはないのだと。今かかる印度を創造する必要はないか。そこに吾々のプルシヤルサがあるのではないか。私は印度ぢゆうを旅行したが、貧民の心を裂くやうな叫聲を聞くに耐へなかつた。若き者も年老いたる者もすべて私に對ひ「私たちは安い衣類を手に入れることが出來ない、高い衣類は金がないから買へない。食物も、衣類も、その他のすべての物が高價だ。私たちはどうしたらいいのか」と云つて絶望の色を浮べるのだ。これ等の人民を滿足させるやうな答をするのが私の義務である。それは國家に奉仕するすべての者の義務である。しかし、私は滿足な答をすることが出來ない。わが國の原料が歐羅巴へ輸出されるので、それがために吾々が高い値段を拂はねばならぬことは、思慮ある印度人にとつては耐へ難いことであらねばならぬ。これに對する最初にして最後の救濟法はスワデシである。吾々はわが國の綿を何人に賣る必要もないのだ。そして全印度にスワデシの反響が鳴りひびく時、綿の製産者は外國で製造させるために綿を賣らぬやうになるだらう。スワデシが印度中に行渡る時に、すべての人が何故綿がその生産地に於て精練され、紡織されねばならぬかに就て定見を有するに至るであらう、スワデシのマントラが民衆の耳朶にひびく時、幾百萬の人民は印度の經濟的救濟の鍵を手に握るであらう。この目的を達するための訓練は數百年を要しない。宗教的觀念が目醒むるならば、民衆の思想は忽ちにして革命を起すのだ。無私の犧牲のみが絶對必要物である。現今犧牲の精神は印度の大氣に充溢してゐる。この絶好の時機にスワデシを勸説しなければ、吾々は後日後悔の臍を噛むであらう。
私はすべての印度教徒、囘教徒、シーク教徒、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教徒、基督教徒、及び猶太人にして、印度國民たる信念をもつ人々が、スワデシの誓ひをなし、又他人にも同じ誓ひを立てるよう勸説せんことを懇願するものである。吾々が國家のためにかかる些事をすらなすことが出來ないとすれば、吾々は空しくこの國に生れたのであると私は心から信ずる。識者はかかるスワデシが純粹の經濟的意義を有することを知るであらう。私は、男も婦人もすべて私の謙遜なるこの暗示に就て眞面目に考慮されんことを望むものである。英國の經濟の模倣は、必ずや吾々の破滅を將來するであらう。
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(この二つの論文はガンヂーがボンベイに於てスワデシの誓ひをなすことを決心した前日印度の邦字新聞に發表したものである。)
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底本:「ガンヂーは叫ぶ」アルス
1942(昭和17)年6月20日初版発行
入力:田中敬三
校正:小林繁雄
2007年4月30日作成
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