東京市《とうきやうし》の「櫻田本郷町《さくらだほんごうちやう》」を「本郷町《ほんごうちやう》、櫻田《さくらだ》」としてはいけない。鐵道《てつだう》の驛名《えきめい》の「羽前向町《うぜんむかふまち》」を「向町《むかふまち》、羽前《うぜん》」としてはいけない。同《おな》じ理由《りゆう》で「伊東忠太《いとうちうた》」を「忠太伊東《ちうたいとう》」としてはいけないのである。
日本人《にほんじん》が歐文《おうぶん》を飜譯《ほんやく》するとき、年紀《ねんき》や所在地《しよざいち》の書《か》き方《かた》は、これを日本流《にほんりう》に大《だい》より小《せう》への筆法《ひつぱふ》に直《なほ》すが、固有名《こゆうめい》は矢張《やは》り尊重《そんちよう》して彼《かれ》の筆法《ひつぱふ》に從《したが》ふのである。
例《たと》へばジヨージ・ワシントンと名《な》を先《さき》に姓《せい》を後《あと》にして、日本流《にほんりう》にワシントン・ジヨージとは書《か》かない。
然《しか》らば歐米人《おうべいじん》も日本《にほん》の固有名《こゆうめい》は日本流《にほんりう》に書《か》くのが當然《たうぜん》であり、日本人《にほんじん》自《みづか》らは、なほ更《さら》徹底的《てつていてき》に日本固有《にほんこゆう》の慣習《くわんしふ》に從《したが》ふのが、當然過《たうぜんす》ぎる程《ほど》當然《たうぜん》ではないか。
四 斷じて姓名を逆列するな
わが輩《はい》のこの所見《しよけん》に對《たい》して、或人《あるひと》はこれを學究《がくきう》の過敏《くわびん》なる迂論《うろん》であると評《へう》し、齒牙《しが》にかくるに足《た》らぬ些細《ささい》な問題《もんだい》だといつたが、自分《じぶん》にはさう考《かんが》へられぬ。
これは曾《か》つてわが輩《はい》が「國語尊重《こくごそんちよう》」の題下《だいか》でわが國《くに》の國號《こくがう》は日本《にほん》であるのに、外人《ぐわいじん》の訛傳《くわでん》に追從《つひじう》して自《みづか》らジヤパンと名乘《なの》るのは國辱《こくじよく》であると論《ろん》じたのと同《おな》じ筆法《ひつぱふ》で、姓名轉倒《せいめいてんたふ》は矢張《やは》り一つの國辱《こくじよく》であると思《おも》ふのである。
或人《あるひと》は又《また》いつた、汝《なんぢ》の所論《しよろん》は一|理窟《りくつ》あるが實際的《じつさいてき》でない。汝《なんぢ》は歐文《おうぶん》に年紀《ねんき》を記《しる》すとき西暦《せいれき》を用《もち》ゐて神武紀元《しんむきげん》を用《もち》ゐないのは何故《なにゆえ》か、いはゆる自家撞着《じかどうちやく》ではないかと。
わが輩《はい》はこれについて一|言《げん》辯《べん》じて置《お》きたい。年紀《ねんき》は時間《じかん》を測《はか》る基準《きじゆん》の問題《もんだい》である。これは國號《こくがう》、姓名《せいめい》などの固有名《こゆうめい》の問題《もんだい》とは全然《ぜん/″\》意味《いみ》が違《ちが》ふ。
歐文《おうぶん》で日本歴史《にほんれきし》を書《か》くとき、便宜上《べんぎじやう》日本年紀《にほんねんき》と共《とも》に西歴《せいれき》を[#「西歴《せいれき》を」はママ]註《ちう》して彼我《ひが》對照《たいせう》の便《べん》に資《し》するは最適當《さいてきたう》な方法《はうはふ》であり、歐文《おうぶん》で歐洲歴史《おうしうれきし》を書《か》くとき、西歴《せいれき》に[#「西歴《せいれき》に」はママ]從《したが》ふは勿論《もちろん》である。
要《えう》するに世間《せけん》は未《いま》だ固有名《こゆうめい》なるものゝ意味《いみ》を了解《れうかい》してをらぬのであらう。固有名《こゆうめい》を普通名《ふつうめい》と同《どう》一|程度《ていど》に見《み》てゐるのであらう。
普通名《ふつうめい》は至《いた》る所《ところ》で稱呼《せうこ》を異《こと》にするが、固有名《こゆうめい》は絶對性《ぜつたいせい》のものであり、一あつて二なきものである。
即《すなは》ち日本人《にほんじん》の姓名《せいめい》は唯《い》一|不《ふ》二である。姓《せい》と名《めい》と連續《れんぞく》して一つの固有名《こゆうめい》を形《かたち》づくる。
外人《ぐわいじん》がこれを如何《いか》に取扱《とりあつか》はうとも、それは外人《ぐわいじん》の勝手《かつて》である。たゞ吾人《ごじん》は斷《だん》じて外人《ぐわいじん》の取扱《とりあつか》ひに模倣《もほう》し、姓《せい》と名《めい》とを切《き》り離《はな》しこれを逆列《ぎやくれつ》してはならぬ。
それは丁度《ちやうど》日本《にほん》の國號《こくがう》を外人《ぐわいじん》が何《なん》と呼《よ》び何《なん》と書《か》かうとも、吾人《ごじん》は必《かなら》ず常《つね》に日本《にほん》と呼《よ》び日本《にほん》と書《か》かねばならぬのと同《おな》じ理窟《りくつ》である。(完)
[#地から3字上げ](大正十五年二月「東京日日新聞」)
底本:「木片集」萬里閣書房
1928(昭和3)年5月28日発行
1928(昭和3)年6月10日4版
初出:「東京日日新聞」
1926(大正15)年2月
入力:鈴木厚司
校正:しだひろし
2007年11月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊東 忠太 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング